富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

平野啓一郎『三島由紀夫論』

癸卯年五月廿一日。気温摂氏22.9/27.8度。朝は驟雨(2.5mm)のあと曇。

f:id:fookpaktsuen:20230709050935j:image

市民会館通り抜けたらホールに行列整理用のロープ張られ物販ブースあり何かと思へば「ゆず」の全国ツアー。明日までの二日。新市民会館の開館後これが大ホール使つた初の大型イベント。夜のコンサートにまだ客も集まつてゐないのか。ホールから音楽が微かに聞こえリハか……と思つたら、もう本番が始まつたところ。時計を見たら午後5時半。コンサート終はつても午後8時すぎ。各地から集まつた熱心なゆず好きが電車や高速バスで帰宅できる時間設定。地元商店街に経済効果がどれだけあるのかしら(ほとんどないだらう)。

平野啓一郎三島由紀夫論』(新潮社)読む。読むといつても670頁の大著である。一日で易々と読めるはずもなく通読。

三島由紀夫論

本著の各章となる4つの各論『仮面の告白』『金閣寺』『英霊の声』と『豊饒の海』はそれぞれ文芸誌の新潮、群像と文學界に初出だつたもので『豊饒の海』は2020年末から翌年にかけ『新潮』でチラ見はしてゐた。この本の装丁は新潮社の三島由紀夫の文庫本と同じなのは見ての通り。

文学史的に見ても、少年期の同性愛について『仮面の告白』ほど思い悩む主人公は新しかった。

確かに。鷗外の『ヰタセクスアリス』始め里見弴、志賀直哉、康成……もつとあっけらかんとした世界。さう思ふと是枝監督の映画『怪物』の少年も、思ひ悩みは三島的かもしれない。

近代の天皇制は、戦死者に対して靖国神社を準備したが、エロティシズムを初めとする日常的な罪に対し、それを罰するための来世のシステムを欠いている。「ゆるしの秘跡」もない。この点は、キリスト教との決定的な違いである。実際、三島は天皇を〈絶対者〉と見做していたが、〈神〉とは呼ぼうとしない。人類学的には「穀物神」であったという説明の仕方はするものの、〈神〉という概念そのものについては、あまり深い思索の跡が見えない。従って、三島にとっての天皇制は、「信仰」と呼びつつ、宗教ではないのである。-『英霊の声』論

天皇制じたいが明治の近代のシステムであつて、そこで〈現人神〉とされたのだから三島に限らず天皇を本当に〈神〉と思つてゐた、少なくとも政治家や権力者、エリートにこそそんな民草はゐなかつただらう。システムであるからこそ〈臣民〉と思へたわけで。

(『豊饒の海』の)小説の結末としては、いかにも三島らしいギリギリの逆説となっている。綾倉聡子であるはずの月修寺の門跡は、本多のみならず、清顕の「実在」さえ否定することで、唯識思想を正しく体現する。もし、輪廻の最も周到緻密な理論を唯識とする本作で、門跡が清顕の「実在」を認めてしまえば、唯識思想そのものが瓦解することとなり、理論的根拠を失った輪廻は、成立しなくなってしまう。つまり、転生そのものが否定されることとなる。従って、清顕の実在が、虚妄分別として否定されることによってこそ、逆説的に、清顕の転生の可能性が残される、というのが、この結末である。そして、解脱に至らぬ本多は、この生をを終えた後、今度は彼自身が輪廻せねばならないが、その時は、無論、彼は自分の転生「認識」できない、という点でもまた、更なる逆説として仕組まれたものであろう。

この論で最初の逆説はまだわかるが本多の輪廻に関する逆説はアタシは何を言つてゐるのかよくわからなかつた。この『豊饒の海』を読んでゐて本多といふ語り部ワキ方の存在。大きく映つたり本当に市井の小人物のやうであつたり……つまり三島の分身か。

清顕が何故死なねばならないかについて、彼(本多)は、次のように説明する。即ち、明治とともに花々しい戦争の時代が終わり、若者が戦場で戦死することはなくなった。その代わりに、「感情の戦争の時代」が始まった。おして、特に選ばれた者たちが、この戦争のために戦死するのである、と。
「それがおそらく、貴様をその代表とする、われわれの時代の運命なんだ。」

清顕のやうに美しく死ぬこともできず老醜を世間に曝すことになる本多。死に損なひ。さうなることへの怖れ(三島)。

我々の日常生活は、家電のような日用品に至るまで、必然的に「体制の産物」であり、芸術家は、この体制のイデオロギーを相対化する「中性的世界」を生きている。そのため、例えば「よりよき未来」といった類いの観念も、芸術家は、そのイデオロギー性を相対化し得るものであり、世界国家も国民国家も、いずれも否定し得る〈自由な〉立場にある。また、現実的にも、冷戦構造の中で、資本主義と共産主義とは相互に蝕み合っており、いずれも絶対的ではない。- 三島『暁の寺』創作ノート〈20.10.67〉より

これが本当なら三島由紀夫こそもつと自由になれたはずなのだが。敵を作る必要があつたので共産主義をそれに見做した(東大での全学連との対話で)。逆に味方のシンボルとして天皇をそれに据ゑてしまつた。さうしたジレンマ、最終的な自己矛盾が、あのやうな最期に至ることになつたのかしら。

三島由紀夫の実存の根底には、幾重にも折り重なった疎外感があった。
幼時に祖母に溺愛され、父母から距てられた経験、また、自家中毒で学校を欠席した経験から、彼は否応なく、本来、自分がいるはずの場所で、自分が不在である現実を想像したであろう。
今頃、みんなはどうしているのか?──この二層化された世界像は、その後の三島の一生を貫いている。「覗き」という主題への執拗な拘りは、その屈折した現れの一つだった。(略)
孤独の裡に芽生えた三島の想像力は、幸か不幸か、現実以上に豊かであり、更にそれを、古今東西の文学が刺激し、涵養した。また、たとえ現実が魅力的であったとしても、『金閣寺』の溝口が語る通り、遅れて到来したのでは、それは既に新鮮さを失っており、そもそも参加不可能だった。
三島の現実体験には、そうして、しばしば幻滅が伴った。「美というものは、こんなに美しくないものだろうか」という溝口の呟きには、作者の苦い実感がこめられている。

「頭脳警察」ボーカルPANTA死去 (71)朝日新聞