富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

水戸新市民会館批判

癸卯年五月十五日。半夏生。気温摂氏21.9/28.9度。晴。

水戸市民会館開館。市中心部の再活性化の起爆剤なんだとか。水戸を代表する百貨店の跡地で、アタシにとつては自分が育つた地元も地元。道路をはさんで向かひ側。内部の構造はそれなりに面白くもあるが外観といふか空間性は周囲の高層建築のなかに埋没してしまつた。北側後方にある空間性としては傑作である水戸芸術館磯崎新)も目の前にこれが出来て困つたもの。伊東豊雄の設計だが晩節を汚してはゐないか。伊東先生の下で働いたこともある或る建築家も「これは失敗作」と嘆かれた。

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この新市民会館、設計候補者選定のなかで伊東豊雄案が採用されたのはプロポーザルでの、この木造構造であつた。これほどの大型建築で木材を大胆に用ゐた、この面白さ。

水戸市新たな市民会館等施設建築物設計候補者選定に係る公募型プロポーザルの評価結果について

この水戸市役所の公開資料を見ても伊東案の、この木材構造にどれだけ評価が高かつたかがよくわかる。だから他の優秀な案「(仮称)teco・能作建築設計事務所設計共同企業体」(こちら)などが負けた。つまり、この躯体のやぐら構造の木組みこそ伊東案の目玉だつた。

本当にこれが実現できるのか?コンペでもそれについて選考者たちからかなり細かい質疑が出てゐた。

伊東豊雄建築設計事務所へのヒヤリング(こちら

だが残念なことは、この「やぐら構造の木組み」の躯体建築は「できることが前提」でこれほどの木材の調達の可否や防火、耐震などに関心が集まつてしまひ「本当に外装をこれにできるの?」といふ素朴な疑問が生じなかつたことが結果論だがまことに残念。

新市民会館等施設建築物実施設計の概要について - 水戸市HP

伊東案が採用され実際の建築設計が公開されたら「あら不思議」そのやぐら構造の木組みは内部だけで外観はお粗末なメタルフレームでガラス張りと化してゐた。

本来の「やぐら構造の木組み」ができないのならコンペの選考ぢたいが見直しあつても良さそうなくらゐ重大なミスなのだが建築計画は着工し、その大きな問題は不問に処された。

伊東豊雄さんは)水戸の街の印象として偕楽園や旧水戸藩校だった弘道館水戸城跡の空堀などを挙げ「歴史的息吹にあふれる地域」と評した。特に木造の弘道館にひかれたといい、設計では「城下町」や「和」といった水戸らしさをイメージした大規模な木造を構想した。ただ2千席の大ホールを備える建物の木構造は困難だったため、中央部をコンクリートで固め、周辺部を木工で表現。さらには木構造は露出できないため、全面ガラス張りの外観に至った。(茨城新聞

こんな誤魔化しが許されて良いものなのだらうか。それも世界的に著名なプリツカー賞受賞の建築家である。まさに晩節を汚したのでは? 

本日の開幕式典で杮落しは萬斎〈三番叟〉、右は屋上庭園

この市民会館計画に反対は市議会でも共産党市議団のみ。水戸芸術館の財団の副理事長だつた吉田光男さん(故人)も、この「土建」に思考力、想像力がないと否定的だつたと聞く。

水戸市民会館事業費返還訴訟 原告の訴え退ける判決 水戸地裁|NHK

今後この公共建築で気になるのは「事故の可能性」。開館前の「内覧」の機会あり、そのときに感じたことは二つ。内部の大きな吹き抜けの「やぐら構造」と「屋上庭園」。「公共建築はみんなの家である」といふ伊東先生のコンセプトで内部は歩きやすい、どこにでも行ける、は大したものだが「やぐら構造」の空間は手すりから身を乗り出すのも、屋上庭園も周辺の柵も低く柵を越えるのも容易。建物の屋上は投身自殺などの事故防止のため出入り禁止にしないのなら柵は乗り越えにくい設計にせざるを得ないのだが。一度でも事故があれば安全管理ができず封鎖は必至。それとちょっとしたことだが西側の拡張された広い歩道は美しくはあるがツルツルの石のプレートを敷いたことで歩いてゐても自転車でも滑りやすい。雨で濡れたり冬は凍結で滑りやすい。転倒事故で重症者でも出たら即刻、あの歩道の材質も見直しだらう。南無阿弥、南無阿弥。