富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

黒川能狂言百番

癸卯年四月初九。気温摂氏13.0/23.9度。曇。伯父の四十九日法要と「樹木葬」なる埋葬に母と家人と常陸大宮の浄土宗西方寺に参る。説教のやたら長いお坊さんだつたが仰つてゐることは至極真っ当なことで櫻の木の下の共同墓の埋葬まで本当にきちんと対応して頂く。お寺近くの遠縁にあたる旅館で精進落としの遅い昼餉。白身の焼き魚やエビフライまで出て食べきれず持ち帰つたが夜は空腹感もなく食事抜き。

夏場所、一敗の横綱照ノ富士が二敗の関脇霧馬山を下して優勝を決める。

黒川能狂言百番

黒川能狂言百番』(小学館、2000年)を読む。山形県鶴岡市の郊外、黒川に伝はる能狂言。渡辺国茂氏が昭和50年頃から黒川に160回も通ひ撮影した黒川能の写真が見事。数日前にこれを読み始めて馬場あき子先生が巻頭言を書かれてゐるのだが、それを読んでゐた時に手にした週刊文春で馬場先生が阿川佐和子対談に出られて矍鑠とした言動を披露されてゐた。馬場先生も昭和40年代半ばから黒川通ひされてゐたさう。

外の異界から鳴らされる鰐口の鈴の音や、出店をひやかしてきた酔客の笑い声、子供の元気のいい叫びなどを深沈とした雰囲気の中に平然と吸収しながら、一切かかわらず舞台上の物語は進行してゆく。能を観ている内部でももちろん個々の小宴はたけなわで、祭りの酒に酔った人々は陶然として舞台上の人物との区別を忘れ、一緒に謡を微吟している人もいる。そして能はしだいにすべての猥雑を包容して、一つの宴の世界を思わせる深さをにじませる。人と神は能と酒を介して出会い、一日こころを通わせあい楽しむのである。それが黒川でみる黒川能の本質なのだ。(馬場あき子)

旧正月に夜を徹して上演される黒川能の王祇祭を機会があればぜひとも末席を汚せたら。

神奈川2区が地元なんだからよこはまみなとみらい21にでもガンダム実大級の立像でも建造すればいいのに。「恥知ラズ」には余程、顔に泥を塗つてやれば良い。晋三でダメかと思つたが(それ以前にアソーもゐたが)ガースーが出てきて晋三がまだマシに見えキシダの登場で倅はいずれもバカ息子だがガースーすら倅がまだ永田町に居ないだけ、まだマシに思へ……と何にせよ自民党劣化は甚だしい。それでも自民党に一票投じる民草がゐるのだから救はれない。南無阿弥陀、南無阿弥陀、南無阿弥陀、南無阿弥陀、南無阿弥陀、南無阿弥陀、南無阿弥陀、南無阿弥陀、南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛……本日、伯父の四十九日の法要と納骨でご住職の説教でこの南無阿弥陀仏の唱へ方を聞いた。

f:id:fookpaktsuen:20230527210828j:image