富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

平山周吉『小津安二郎』

癸卯年三月廿八日。気温摂氏11.9/31.9度。水府で今年初の夏日。

小津安二郎

雑誌『新潮』連載の『小津安二郎』新刊で読む。平山周吉の著述は先日『満洲国パラダイス』先に読んだところ。この『小津』も『満洲』同様に既存の満洲や小津に関する数多の著述をよく読んできちんと整理して見せてくれる(たゞ惜しむらく「それ以上」の考察は見受けられない)。この『小津』でいへば小津の映画作品で〈麦秋〉に着目して小津には珍しいキャメラ移動、それを改めて見返せば確かに気味が悪く背筋がぞっとするやうな眼差で、作品としてはそのキャメラ移動の眼差がなくとも十分に映像作品として成り立つのだが、そこになぜとても不自然な個所に盗み見るやうな視線が、それも移動しながら覗いてゐるのか。それを著者(平山)は小津にとつて最愛なる若い映画監督であつた山中貞雄へのオマージュであつて「山中貞雄といふ死者を介在させる意図」がそのキャメラ移動に見受けられるとする。成程あのキャメラ移動は薄気味悪いもので成仏できぬ何者かが覗いてゐるやう。小津と同じ支那戦線に遣られ命を失つた山中貞雄に対して小津が哀悼といふか山中の死にきれぬ思ひを映像で反芻するとなると、あの不自然なキャメラ移動がぞっとするほどホラーのやうに怖いほどの写真と映る。小津作品で〈風の中の牝鶏〉に出てくる紙風船、〈晩春〉の京都の旅館に置かれた壺、〈麦秋〉の劇中劇としての歌舞伎の場面の〈河内山〉。この3つそれぞれが山中の生前の映画作品〈人情紙風船〉、〈丹下左膳余話 百万両の壺〉と〈河内山宗俊〉と繋がつてゐるといはれると納得。また〈晩春〉〈麦秋〉と〈東京物語〉の原節子起用による「紀子三部作」も兵隊に取られ亡くなつた息子や夫の存在がつねに陰にあり死者たちに纏はる物語。小津安二郎にとつて戦争が何だつたのか(総括できないからだらうが)戦後もその戦争=死を引きずつてゆくしかない。さう考へうると小津の作品がなぜ頑なにあの映像世界を守らうとしたのかもよくわかるところ。因みに昭和天皇は小津より2歳上。戦争も平和も、そして何より〈近代〉を表現する手段などなかつたから「あの世界」なのだらう。だからこそ小津の映画が戦後の日本そのものなのだ。小津安二郎の映画といふと原節子笠智衆のやうだが著者は小津の映画を天皇制として見た場合の東山千栄子の存在=皇后(香淳)であり役者としては誰よりも杉村春子あつてといふ考察は確かにその通りである。さうすると小津作品で「いゝ味」は出してはゐるがそれ以上でもそれ以下でもない笠智衆の存在があつて、この著者がペンネームに平山周吉といふ笠智衆の役名そのものを借用したところに「なるほど、そこまでか」を感じたりもする。助演の役者としては面白いのだが。