富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

癸卯年三月廿七日

気温摂氏13.0/24.0度。快晴。夢見悪く朝起きると身体が怠い。起きてゐるときに身体をくたくたにした方が疲労感で夢も見ないほど熟睡できるといふ話もあつて慢性的な運動不足とかもよろしくないのだらう。

NHK-FM〈高橋源一郎の飛ぶ教室〉アナーキーな2時間スペシャル

NHKアナキズムがテーマ、大杉栄がトピックスでゲストが政治学者の栗原康はわかるがアト2人が中森明夫ブレイディみかことは。トークの予想もつかなかつたが聞いてみるとじつに面白い4人のトークなのだつた。大杉栄の『自叙伝』を(中学か高校生のときに読んでおくべき名著だが)それをこれだけ明るく楽しく読める読書会だなんて。

謝罪のジャニーズ「真相には背、離反恐れ追い込まれた事務所」朝日新聞

これまでマスコミがこの問題を報道しなかつたジャニーズ事務所への「忖度」こそ問題なのだが「芸能界に詳しいジャーナリスト」にコメントさせてお終ひか。

喜多川氏の性加害疑惑を巡って過去にも告発や報道は数多くあったが多くの人の関心を喚起しなかったのは「芸能界は特別な世界だから」「一種の治外法権が許されているから」ということで新聞社も含めたメディアも社会も「たかが芸能の話」とゴシップ扱いして消費してきたからだ。(松谷創一郎

これについての小見出しは「報道抑制、被害広げた面も」である。「……面も」だって。「報道抑制が被害広げた」だろ。それを、この問題を深刻にとらえなかつたのは「社会」であつてマスコミ「も」として責任を曖昧に。社会が戦争気分ならマスコミもそれに乗じるのか。社会が何うであれ「これは間違つてゐる」と告発してこそ社会の公器としてのマスコミ、殊に新聞の役割のはずなのだが。報道の自由ランキング第68位は「政府の統制」でもなく米国、天皇制からジャニーズまでマスコミの自主規制や忖度なども深刻な結果なのだ。

会見を避けたジャニーズ拭えない閉鎖性:朝日新聞

これも朝日新聞で「三流ゴシップ紙か?」並みの記事。ジュリー社長につき関係者曰く「まともな人だけど口べたで会見は無理」「記者との受け答えには耐えられない」。さすがに紙面記事にはなかったがデジタル版だから、ってビッグボスたる叔父とゴッドマザーたる母の跡を継いだだけの二代目社長に今更で容赦ない。

ジャニーズ性被害「調査の遅れメディアにも責任」毎日新聞

朝日新聞の不甲斐なさに比べ毎日新聞は(「識者への取材」だがこちらの方が)ずっとマトモなもの。

疑惑の調査が遅れた責任はメディアにもあります。1999年に喜多川氏の性加害問題を特集した文芸春秋ジャニーズ事務所が争った訴訟の判決(2004年に確定)で2003年の東京高裁は喜多川氏の性加害疑惑を報じた記事に関し重要部分についての真実性を認定しました。しかし、その後大手メディアの厳しい追及はありませんでした。特に問題だったのは2019年に喜多川氏が亡くなった際の報道です。あの時点で彼の性加害疑惑を検証すべきであったにもかかわらず喜多川氏の功績をたたえる所属タレントの弔辞や安倍晋三元首相の弔電をそのまま流しました。メディアは疑惑追及の機会を逃したばかりか社会的に疑惑を容認する雰囲気を醸成してしまったのではないでしょうか。(白木敦士・琉球法科大学院准教授)

(特集ワイド)黒鉄ヒロシさんがコロナ禍で気づいた“思い込み”  | 毎日新聞

深刻なコロナ禍も「自己点検ができたことだけはよかった」。一方でこの3年半を振り返ると釈然としないことも多い。「医学とは何か、命とは何かをきちんと考える好機にしなければならなかったはずなのに。日本人はとくに価値観を見直すべき時だった」。この間、みんなどう対応していいか分からないから、上から下までオタオタしてしまった。為政者も国民をどちらへ連れていくべきか分からず、落としどころを探っている感じがする。自分の都合のいい結論にもっていく政治家はセンスが悪い。