富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

文楽〈菅原伝授手習鑑〉国立劇場

癸卯年三月廿六日。摂氏14.6/21.4度。東京は小雨模様(13.5mm)。半蔵門国立劇場(小劇場)文楽公演(朝日新聞11日夕刊記事)。3部制。第1、2部が菅原伝授手習鑑の通しで初段と二段目まで。途中休憩と入れ替へ時間の除き5時間20分。この通しを見る(夜の第3部は夏祭浪速鑑)。通しの後半は九月で現在の国立劇場最後の文楽公演。

国立劇場のあぜくら会で第1部のテケツ重複して2枚購入してしまひ築地H君引き受けてくれる。偶然に村上湛君も本日この通しご覧だつた。この菅原伝授手習鑑、大凡の筋は歌舞伎もあるので知つてはゐるが歌舞伎はもう「車引」と「寺子屋」ばかり。通しは今世紀に入り仁左衛門さんの菅丞相で2度?「通し」あつたやうだが歌舞伎座での昼夜公演で加茂堤から寺子屋まで抜粋。初段で序幕〈大内の段〉もアタシは初めてだし第二段〈安井汐待の段〉上演は昭和58年の大阪朝日座以来40年ぶりで国立劇場では昭和47年以来実51年ぶりの上演の由。香港からの帰国で歌舞伎は時々見てゐたし3年前の帰国後は能楽も見るやうになつたが文楽は何十年ぶりかしら。昭和末に東京で普通に文楽公演に行けば越路太夫、咲太夫、住太夫、人形では玉男、箕助、文雀が演つてゐたことも今になつて思へばまことに贅澤なこと。本日の公演を通しで見てゐて〈加茂堤〉の前提もなき〈車引〉や、源蔵と戸浪がゐても〈筆法伝授〉なしに〈寺子屋〉だけ「抜き」で見てもつまらないもので「通し」の大切を改めて思ふ。

偶然だが今日、朝日新聞デジタル版で11日の紙面記事にあつた人形遣ひ吉田和生さんのインタビュー記事掲載あり。「通し狂言が出せるのは文楽の一番の財産であり強み」。御意。この秋生師が本日第2部で「覚壽」まことにお見事。〈杖折檻〉と〈詮議〉で覚壽が前者での愛情、後者での考察の見事さを人形を通して和生が見事に表現して見せる。人形ぢたいに表情がなくとも湛君が舞台のあと仰つてゐた通り和生さんがどれだけ、この覚壽の在る状況での思考をしてゐるか、が人形に伝はつてヰるからこその名演。何もそんな大したことしてませんといふ顔面のまゝ全神経が腕から指を通して覚壽の人形に伝はつてしまつてゐるのだらう。菅丞相(玉男)が脇役にすら思へてしまふ和生の覚壽。

半蔵門まで往路は東京駅から大手町乗換へで地下鉄で来たが復路は東京駅からの特急の時間まで30数分ほどしかなく地下鉄よかいっそのことお堀端を歩いてもGoogle地図で2.1kmで26分なので早足なら余裕で鉄道に間に合ふか。すると湛君が自分も東京駅まで行くからと円タクご一緒しませうと誘はれ彼がさつと車を拾つておいてくれて文楽のあれこれ話聞くご馳走つきで東京駅迄。水戸に戻り水戸駅で家人と待ち合はせステショ近くの長崎ちゃんぽん屋に寄りちゃんぽん食べて帰宅。今どき店内の奥の方に小さなお嬢さんのだらうカバンが置いてあつて勉強したりお絵描きするスペースがあり幼稚園の卒園児の写真とか貼つてあつて厨房の奥の方からお嬢さんの声。昭和の頃はアタシらの頃には飲食店では当たり前の光景だつたが今となつて稀なことで何だか懐かしく、微笑ましいかぎり。

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