富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

『能楽タイムズ』2月号

癸卯年二月廿二日。気温摂氏8.5/18.1度。朝から猛烈な南風。陋宅は揺れるほどでサッシの隙間からの風が笛のやうに鳴つてゐた。それでも陋宅にも近い水戸地方気象台の風速は最大で12.8mとは。本日は口罩解除の日。「まはりの人たちの様子を見ながら」がじつに日本らしさ。午後から雨(6.5mm)。半年毎で歯科の定期健診。歯もきちんと磨けてゐて少しも治療の必要なしとのこと。ありがたい。

能楽タイムズ』2月号をあらためてきちんと読む。この号で休刊(事実上の停刊)のはずだつたが結果的に秋からまた復刊で、つまり本当に「休刊」であつたことになるのか。休刊にあたり「能楽タイムズ70年」の対談に村上湛君のコメントが実に興味深い。

  • 能・狂言を特殊な演劇形態と見ず、広く舞台芸術一般の中で捉えていきたい。
  • 能に限らず批評の生命は「文体」*1です。文章そのものが書き手に固有の文体を伴って、優れた文学として自立していること。
  • 「見た私にとって良かったか悪かったか」ということよりも、舞台人本人の意識無意識にかかわらず「演者がどういう舞台を創りたかったのか」と問い糺したいという考えが根本にある。
  • 文体を十分に調え、見なかった人にも舞台がありありと浮かぶように、その結果として舞台人の役にも立つように。これが私の志向する能評です。

実際この号で湛君は昨年十二月の能・狂言につき批評書いてゐるのだがアタシも見た観世淳夫の会(三日・宝生能楽堂)についても容赦ないが(片山九郎右衛門の地頭について等)誰かが言はなければいけないことをきちんと述べてゐる。間違つてゐたら、の覚悟がないと書けないだらう。この月のお能で〈梅若会定式能〉(十八日、梅若能楽学院会館)など評を読んでみて梅若紀彰〈定家〉は本当に行つてみたいものだつた。

「芸の中の大事なものだけが清らかに残った」態の亀井忠雄はいま何を聴いても私の学びにならないものはない。(略)能は音楽劇であること、その精髄はノリと間であることを、亀井忠雄の大鼓は実にありありとわれわれに教え示してくれている。彼は決まった手(奏譜)を打っているのではなく、〈定家〉という能を打っているのだということが、本当によく分かる。

余談だが祇園の老婦人の話だとして坂東玉三郎の阿古屋で「なんぼ結構なお衣装やてゝ、お芝居よりも裾ばっかり直したはって、見ていて気ィ散ってかないまへん」も聞ひて実に妙。

▼大相撲大阪場所二日目。正代が好調な上に行司で差し違へ名人の伊之助が豊昇龍vs阿炎で土俵際は正確に豊勝龍の手が先についてゐたとして阿炎の勝ちとしたが審判物言ひ。結果、行司軍配の通り。正代や伊之助の好調とは。初日に大関貴景勝破つた翔猿が御嶽海破り琴ノ若も二連勝。若隆景二敗。
▼作家の大江健三郎死去。享年八十八。若い頃の作品は面白く『同時代ゲーム』までは読めたが、その後の作品は全く読めなかった。扇千景(元参議院議長)も死去。享年八十九歳。山城屋夫人。喪主は長男の雁治郎Ⅳださう。

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*1:これは“mode”であつてディスクールの基本でもある。