富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

評論について(北の富士さん)

癸卯年二月廿三日。気温摂氏3.6/13.1度。晴。とらやの干支の羊羹で今年の「駆けうさぎ」をやつといたゞいた。羊羹は日もちするのでつい/\生菓子などばかり先になつてしまつて。


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大相撲大阪場所は小結の大栄翔と翔猿それに高安好調で初日から土つかずの3連勝だが何といつても話題は毎頭15の新入幕・北青鵬。久が原T君から北の富士先生のコラムを教へられた。

【北の富士コラム】新入幕の北青鵬は"規格外"あの体勢で寄り切れるとは… 若隆景は踏み込み不足:中日スポーツ

実に見事な相撲評。宮城野(元横綱白鵬)の下に炎鵬の他、石浦、北青鵬に落合とこれから期待の若手がゐることを挙げ宮城野は力士としても天下を取つたが親方としても非凡な才能を見せていることから「われわれの時代は大鵬さんの通った道には草木も生えないと嘆いたものだが、どうやら白鵬にも同じことが言えそうだ」と宮城野を評する。昨日のこの日乗で紹介した村上湛君の能評と同じく北の富士先生の覚悟を決めた厳しい指摘が何とも立派(正代について)。

結びの一番、貴景勝と正代の一番。早くも正代の優勝もあると言う人もいる。私は思わず笑ってしまったが内心は穏やかではなかったのが本音。しかし心配は無用だった。貴景勝が一方的に押し出した。スポーツ紙に正代がその気になっているようなコメントが出ていたが2連勝したくらいで優勝を意識しているとは恐れ入る。相変わらず人間が甘過ぎる。

この「内心は穏やかではなかった」「心配」の使ひ方が妙。普通に相撲の解説なら正代が順調か何うか?の心配……だがこゝでは「自分の正代への不信が誤謬にならないか?」なのだ。そんな。そこから猛烈な畳みかけで正代を叱つてみせた。見事としか言ひやうがない。

Kenzaburo Oe, Nobel Laureate and Critic of Postwar Japan, Dies at 88 - The New York Times

それにしても戦後日本を代表する、この作家の死に何の感慨もない私。感受性がないから。

おおえ・けんざぶろう
なんと美しい名前だろう。
やわらかい母音が三つ連なり、それをKという子音がしっかり受けて、更にごつごつしたZが乱して、「ろう」で丸く収まる。音節の数は軽く七五調を逸脱している。
こんな名前を持った男が詩人でないはずがない。

この池澤夏樹の追悼記事(朝日新聞こちら)の始まり……なんと美しい書き出しだらう。ラストも美しい。

もう大江さんはいない。
目の前には作品の山脈がある。再び一座ずつ登らなければならない。

まるで『赤頭巾ちゃん』を読んで庄司薫に陶酔した少女のやう。ふと「戦後文学が古典になる日がきたら」大江健三郎の作品で何が残るのだらうと思つた。

文脈が多様化し、短命になった現代では、古典を作ることは困難といわれる。しかし私は、古典を作りたいと思う。なぜなら、分極化し対立を深める現代にといて、人々を共存させ、対話の土台となる古典は、何よりも必要とされているからだ。小熊英二岩波書店『図書』2015年12月号)

原発の処理水放出「避けて通れない課題だ」と 西村経産相:東京新聞 

海洋放出の是非を問ふなら「避けて通れない課題だ」だが「放出ありき」は無策大臣だから命令は「避けて通れない」のだらう。東大法学部で樋口陽一先生のゼミの教え子でこれぢゃ陽一先生も恥ずかしい。

川内原発の再稼働という芝居も、原子力規制委員会は安全基準にて適合しているか否かを審査するだけであって安全を保証するものではないという事実を国民に突きつけたまま幕が下ろされたのだが、あれも第二幕がなければ収まらないはずだ。原発推進といい、集団的自衛権といい、いまは幕間に過ぎない。芝居は終わっていない。高村薫岩波書店『図書』2015年12月号)

茨城県選出の福島伸享議員がこの放出と風評被害について質してゐる。