富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

那珂川ヒストリー

癸卯年二月廿一日。気温摂氏4.0/17.8度。晴時々曇。今朝、この春初めてウグイスの鳴き声で寤める。この早鳴きのウグイスはまだホーホケキョと鳴けずホケとかケキョと鳴くもまた愛らしい。

特別展「那珂川ヒストリー」水と共に生きた人々 | 水戸市立博物館

これが今日までで参観。水府を地図で見ると千波湖(現在より3倍ほどの面積)が中心にあつて、その東北から西北に城下町が形成されてゐてその向かふに那珂川があるやうに見える。だが地図の上下(南北)逆さにして見ると水府の市街がどれだけ那珂川の水運によつて形成されてゐたかがよくわかる。水戸の台地の東端こそ台地の那珂川に最も近い場所で、そこに平山城築くのは最良。徳川、佐竹どころかそれ以前の江戸氏の頃。千波湖は今でこそ水府のシンボルのやうだが景観あるのみ。城の東側の低地にまさに御城下の商業地が形成される。低地は水害があることで、その後は細長い台地が商業地となり大通り(国道50号線)ばかり賑やかで平面的な広がり、奥行きのない都市化となつた。那珂川は全長150kmの河川で源流は栃木県でも新潟、福島両県に近い那須岳山麓。江戸時代はサケが遡上して那珂川のサケは水戸藩ご献上。

今朝、実家の庭でナンテン、ツバキやジャノヒゲを枝分けしてきたので菩提寺で墓にそれを植える。いぜん枯れかけたナンテンだけが再び良く育ち赤い葉が茂つてきてゐた。となりはナツメだつたが枯れてしまひ、そこに緑の若々しいナンテンを植える。ツバキは少し日陰になるところに。


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築地H君夫妻が昨日、いわきに往かれ梅も見頃といふことで今日は国道6号南下で水戸に立ち寄ることに。お寺で待ち合はせ歩いて偕楽園へ。


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久ヶ原T君が来られた一ヶ月前はまだ二分咲きくらゐで寒雨のなか探梅も風情あつたが今日はまさに花見の賑はひ。
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H君夫妻は昨晩は磯原に泊まり常陸沖の魚介堪能だらうから今日のお昼は常陸のお蕎麦でも良いねといふことになりH君の自動車で水府の市街を出て那珂川を渡り那珂西木倉の〈だぼう〉へ。日曜の昼で8組待ち。店先で広い畑を眺めてゐると雲雀の鳴き声も愛らしい。フキノトウ、たらのねの天ぷら。海老しんじょ。鴨汁のつけ蕎麦がじつに美味い。長ネギのまぁ甘いこと。天ぷらとしんじょが食べ終はるころご主人にお蕎麦まで出して宜しい?と確かめられたが、あれは考へてみると鴨汁だけ先に出してもらつて鴨肉と野菜をいたゞいたあたりでお蕎麦を出してもらひ、つけ汁で蕎麦を啜れば良かつたことか。お酒を飲んでゐなかつたので、その気転がきかず。実は掃墓のときに墓前にお供への口実でカップ酒を飲んでゐたのだが。水府市街に戻り自動車から三の丸庁舎、弘道館水戸城大手門を見ていたゞく。お二人は常磐道で牛久に向かひ牛久大仏参観で東京の戻られる由。

大相撲大阪場所開幕。照ノ富士は休場(四場所目)。貴景勝が一人大関。前頭筆頭の正代が関脇豊昇龍を破る。やればできるのに(元大関)。同じく前頭筆頭の玉鷲(38)が見事な運動能力発揮で関脇若隆景を下す。貴景勝は小結翔猿に敗れ初日に土。

今日のバラカンビートと昨朝のNHKウィークエンドサンシャインを続けてきく。220分のピーター=バラカンになつた。