富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

陰暦十月十四日

気温摂氏6/20度。立冬。夕方、郵便局に行き近くから水戸芸術館のタワーを仰いだが「塔」といふのはやはり周囲が平地だから勃起がシンボルたるゆゑんであつて周囲の構造物は邪魔である以外何物でもない。

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昨日、大洗の酒舗おそのえ商店で鹿児島は小正の蔵の師魂で「いもいも」を購入したところ実は小正からノンアルコールの焼酎擬きも出てゐて酒のやまやに在庫あり購入して先づは試飲と飲んでみたがノンアルコールの啤酒、そして日本酒以上に飲めたものではなかつた。蔗糖水といふかサッカリンの水溶液の如し。

伊丹十三ヨーロッパ退屈日記 』再読。白人の下層労働者を初めて目にしたときの衝撃。アメリカ人に対する彼らの屈折のない心、含羞のない心が我慢できない十三。自らそれをアメリカ人に対する人種的偏見といふが米語の「汚さ」とかアタシの今の時代では当然その通り!と思ふが、それを昭和40年!くらゐに言ひのけてしまふことの凄さ。伊丹十三がこの文章を書いたのは昭和37年のサントリーの広報誌『洋酒天国』で十三は昭和8年生まれだから、その当時20代後半である。その当時の書いたものが昭和40年に新刊となりアタシが今回読んだものは昭和49年の新装版。アタシはそれを高校1年の頃かに読んでゐたのだが当時どれほど内容を理解できてゐたのかしら。今になつて読むと伊丹十三のいふ通りで「ふむ、ふむ」と納得なのだが十三がこれを書いたのが半世紀以上前なのである。飲食、ファッション、風習そのどれに関しても20代後半の若者が!と思へば信じられぬ感性、素養そして教養。今かうして読んでも何も古びてゐなのだから。当時、US$1が360円の頃に英国で自動車はジャグァアを購入したり映画出演が決まつたギャラで購入したスポーツカーをドーバー海峡は飛行機で運びフランスを快走なんて。どれだけ。その旅でスペインのマジョルカに遊び、その光景はスペインといふよりむしろ南仏で「セザンヌの光景画」といつてのける。

殊に空の色と岩肌と松の木の形がセザンヌの影響を露骨に受けたという感じなのです。

こんな表現、伊丹十三以外の誰もできないだらう。

ヨーロッパ退屈日記 (新潮文庫)

▼先週土曜日に土浦の花火大会あり。ソウルでのハロウィン惨事あり土浦の花火大会では警察の警備も徹底だが群衆も警察の指示に従ひ突飛な行動もなく事故にならず。それはそれで立派だが随分と従順。何か意義申し立てとか出来るのかしら。土浦の花火大会といへば高校1年生の時に、ふと小6の時に知り合ひ中学時代も仲良かつた土浦のH君が、その年は高校入学のため中卒で浪人してゐて彼を訪ねて、土曜日の夕方、水戸から土浦に行き二人で早晩から櫻川の土手でビールを飲みながら花火見物をして、もうカネもないので中学の頃に面倒見てもらつてゐた学習塾の先生を尋ね遅い夕食をご馳走になつた上に明け方まで酒まで飲ませてもらつた。当時16歳である。なんて愉快だつたのかしら。