富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

陰暦十月十三日

気温摂氏6/18.1度。快晴。家人と自動車で大洗。護国寺初訪。日蓮宗の寺院だが境内には血盟団事件(昭和7)の首謀者である井上日召銅像が立ち昭和維新列士之墓まである(この石碑の揮毫は四元義隆)。土佐出身の田中光顕(宮内大臣)が明治天皇から拝領の品々を保管展示する記念館を薩摩に非ず水戸の大洗の大洗に建立したのが常陽明治記念館(昭和4)で広大な敷地内に付属施設として立正護国堂を設け井上日召が地元の血気盛んな若者を集め水戸藩が失敗つた明治維新を昭和のこの世で!と起こしたのが血盟団事件。「立正」の名の通りこの寺院は戦後は日蓮宗の寺院となり井上日召が亡くなる昭和42年迄この地に。


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常陽明治記念館靖国神社遊就館の如き国粋主義軍国主義の展示ばかりだつたが平成9年に田中光顕以来の明治記念会による運営が継続困難となり記念館は所有権が明治記念会より大洗町に移り今では茨城大学OBの小野寺先生が館長で展示内容もかなりニュートラルに。それにしてもこゝが小学校の時も遠足でも見学。みんな適当に遊んでゐたが明らかに戦意高揚のやうな展示内容に「よくもこんなところに連れてくるもの」と呆れてきた記憶。大洗海岸にあつた水族館は竜宮城を模した建築でとても印象的であつた。

かつての常陽明治記念館(左)と大洗海岸の水族館(右)

こちらで〈懐かしの水浜電車と大洗の観光〉開催中で参観。本日は堤一郎先生(日本工業大学工業技術博物館特別研究員)の公演「水濱電車から水浜線へ」あり拝聴。水浜電車は水府では水戸駅から上水戸まで市内電車として走つてゐて昭和41年の秋に廃線となつた。赤塚からは上水戸を経由して御前山まで茨城交通線も走つてゐたのだから当時の電車による輸送網の充実。

水府に戻り東町の行列のできる町中華来々軒〉で昼食のあと県立美術館へ。敷地内(旧水戸農業高校)の銀杏が黄色に色づき始めてゐる。

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こちらでは東洋文庫の所蔵する文献の展覧〈知の大冒険〉開催中で参観。

マルコポーロの東方見聞録(1496年ヴェネチア刊)、ロビンソンクルーソー漂流記(1719年)、ナポレオン辞典、ガルチェリの天正遣欧使節記、シーボルトの日本植物誌、日本幽因記(ゴロヴニン)、ダフカディオ=ハーン書簡、写本だが文選集集、万葉集御成敗式目、西欧紀聞(白石)、伊能忠敬大日本沿海実録選など歴史では知つてゐるが実物の文献を見ることなど珍しい機会。実は昨日、家人が散歩がてら来てゐて江戸地図(遠近道印の改撰江戸大絵図、元禄14)が見事だつたのだが拡大鏡でもないと細部が全く見えないといふことで家人は本日再訪。確かに見てゐて飽きない江戸地図絵であつた。

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家人が親元からまとめて持つてきた郵便切手を整理。これでもだいぶ使つた残りなのださうだが何万円分の切手。アタシもそれなりに筆マメではあるが一生かかつても使ひきれないほどの記念切手の類ひ。これでもバラの切手がこれだけで他にシートがかなりある。

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