富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

歌舞伎座(秀山祭)二世中村吉右衛門一周忌追善

陰暦九月初一。水戸の朝の気温は摂氏16.1度。ずいぶんと涼しくなつた。快晴。家人と巣鴨。彼岸も終ひになつたが墓参。豊島市場裡、染井霊園に沿つてを歩いてゐたら大汗かくほどの暑さ(東京の最高気温29.1度)。巣鴨の駅から家人はいつも西友に寄つて仏花を用意して裏道を染井霊園の方に歩いてゆくのだが、その道すがら三菱系のグランドやスポーツ施設、三菱重工の社員寮だの並んでゐていつも何でかと気になつてゐたが地図で見てみると染井霊園に接して岩崎家の広大な墓所があり今では山手線で分断されてゐるが六義園も弥太郎が購入してゐて(昭和13年東京市に寄贈)その六義園からの三菱の地所なのだつた。弥太郎は明治維新が34歳で東京に出てきて三菱の財閥を築き亡くなつたのが齢五十一とは。


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墓参のあとは地蔵通りのときわ食堂に寄る。冷たい赤星で喉を潤して鯵のフライ。11時も半近くになるともうお店は満席に近い。巣鴨から三田線で内幸町。銀座8の渡邊版画店。来年の巴水のカレンダーを毎年のことながら三本購入。二本は持ち帰りで陋宅用と母に。もう一本はコリドール街の銀座西郵便局よりマカオに送る。EMSで荷物一つ送るにもアプリで送付先など入力してメールで届いたQRコードからラベル印字してプリントアウトされたものに5つだかサインして本当に面倒。銀座3で松屋向かひのシャネルのビルにあるシャネルネクサスホールでこちらを参観。

à mains levées シャネルを紡ぐ手 アンヌ ドゥ ヴァンディエール展


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シャネルといへばこちらも見たかつたが今日は月曜休館……ではなく展覧が昨日までであつた。残念。

(三菱一号館美術館)ガブリエル=シャネル展 Manifeste de mode

家人と別れ何も用事もなく新橋駅前のSL広場で今日から古書まつり(正月除く奇数月の開催)でそれを覗く。読んでみたい本をみつけては地元の図書館の蔵書を調べ「あった!」の確認ばかり。ニュー新橋ビルも昼過ぎ午後の微睡感がよい。

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土橋から銀座8に入り久々にロックフィッシュに飲まうか?とも思つたがタバコ臭くなるのも何だかなぁと思つて数寄屋橋サンボアへ。こちらでお聞きしたらロックフィッシュはコリドール街から今のニュー銀座ビルに移転して店内禁煙になつてゐたのださう。銀座三越で家人と待ち合はせ。その前に地下の化粧品売り場のSHIROに寄る。ホワイトリリー(練り香水)12gはサヴォンもだが今年9月1日から調合する香料に変更ありと大丸(京都烏丸)の売り場で聞いて、その時は香りを試して購入を躊躇つたのだが今日聞いたら「まだ以前の調合の在庫あります」でそちらを購入。夕方の中途半端な時間だが木挽町でお芝居の前にハゲ天の出店(銀座5)で天丼をいたゞく。天ぷらにした半熟の玉子は要らないといつたらレンコンを入れてくれた。タレは薄めに、でこんな具合。


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歌舞伎座で九月恒例で秀山祭といへば初代吉右衛門の功績讃へるが目的で「当代」が始めたのが2006年で、それが定着してこれからもと思つてゐたものが昨年は体調不良で秀山祭として開催能はず今年は当代だつた二世吉右衛門の一周忌追善になつてしまふとは。涙。第三部(明日が千穐楽)。今月の歌舞伎座は古呂奈の禍ひもなく仁左衛門丈の由良之助で忠臣蔵の七段目。おかるは雀右衛門。まもなく白猿襲名の海老蔵が寺岡平右衛門。七段目は2007年2月に歌舞伎座忠臣蔵の通しあり播磨屋の由良之助、大和屋と松嶋屋で見て以来。「先代の大松嶋がさうだつたやうに」と村上湛君が当代の当たり役三傑として藤屋伊左衛門、菅丞相、とこの茶屋場の由良之助としてゐたが、これはまだ一世一代とはしてゐないが、この七段目の由良之助は拝んでおかないといけない。当代も以前なら茶屋で遊んで酩酊の部分をもう少し陽気に見せた気もするが今日は遊んでゐるやうで最初から厳しさがつきまとふ気が……六ッかしい七段目の由良之助を本当に十五代目として完成形である。千穐楽までの連日の熱演は本当に大変なことだらう(来月は一月お休みで十一月は團十郎襲名公演で十二月は南座顔見世)。吉右衛門仁左衛門の七段目の由良之助はこのあと誰が演じられるのかしら。それにしても再来月に成田やの大名跡を襲ふ海老蔵が今月のこの舞台、評判が芳しくない……どころか酷評を耳にする。とにかく声が小さい、お役に身が入つてゐない、上っ面ばかり……と手厳しい。確かにおかるから話を聞いて由良之助に諭されるまでの場面で海老蔵の平右衛門は何だか「はぁ?」といふため息が出てしまふ感じ。若い頃に三之助は新之助海老蔵)、丑之助(菊之助)と辰之助松緑)だつたが「今なら平右衛門を任せるなら松緑が良いかもしれない」なんて思ひながらの七段目になつてしまつた。しかしやはり松島屋の由良之助で竹本が葵太夫さんであるから、それを拝めるだけで幸せ至極なのだが。葵太夫さんにとつてはまさに追善の名演。幕間で三階席ロビーで見巧者のご婦人三人がまぁ辛口で先ほどの平右衛門を「見た目だけで惹かれると思つてゐるのなら映像の世界に行けばよい、舞台の何ものかがわかつてゐない、松島屋さんがあゝ諭ふところを聞いてゐて何であんなとぼけた表情でゐられるのか」と(実際にはもっとボロクソで)まさに糾弾されてゐたほど。ところで葵太夫さんは呟板で毎月その日の舞台のことなど小まめに呟かれるのだが今月の歌舞伎座は第二部の播磨屋名場面あつめたごった煮(揚羽蝶繍姿)で〈陣屋〉のパートと第三部でこの茶屋場を担当されてゐるのだが呟板では両作ともほとんど何も語らず故人の思ひ出話ばかりなのであつた。中入り後は菊之助の〈藤戸〉は能のこちらで、これは二代目が松貫四の構成としての新作(脚本は川崎哲男)。初演は1998年(平成10)5月に厳島神社で奉納。2006年6月に歌舞伎座に掛かつたっきり。今回は母藤波/藤戸の悪龍に菊之助で盛綱が又五郎、浜の夫婦が種之助と米吉。その童に丑之助。この配役も考へてみれば吉右衛門の娘婿の菊之助又五郎は祖父が時蔵Ⅲで初代吉右衛門の弟。その息子が種之助で兄(歌六Ⅴ)の子が米吉だと思へば、きちんと播磨屋で配役ができてゐて秀山祭で初代と二代の吉右衛門追善に値する〈藤戸〉再演。音羽屋は芝居上手でも内面の感情表現に欠けるといはれもするが、今日のお役なら見事そのもの。浜の夫婦と倅の出番は間狂言に当たるが、種之助、米吉と丑之助の踊りの上手さは格別で客席もやんやと喜ぶほど。播磨屋が孫のこの踊りを見たら、どれだけ嬉しいことか(涙)。孫もあの世のお祖父さんに「見てください」の踊りっぷりであつた。村上湛君によれば(アタシは能の〈藤戸〉を未見不識*1)幕外の引つ込みは四拍子による早舞(在来の歌舞伎下座の「早舞」ではなく本行=能の流用)ださう。

初段オロシの手まで打って実に凝った囃子事だが、これを「龍女成仏の能〈海人〉早舞の心」と見れば、悪龍の鬼神が往生得脱の結末には実にふさわしい。

と書かれてゐたが、これは今日舞台を見てなるほどと合点。そしてこれは戦さで命を失ふことが今日もまだをさまらない世の中に向け大切な物語。歌舞伎の舞台で松羽目物は久しぶりに見たが長歌囃子も充実はしてゐるが鼓や笛、太鼓の音も能楽で耳にする響きを歌舞伎の舞台で期待してはいけない。〈藤戸〉も能で拝見したらいろ/\感じるところだらう。
今日の終演は少し延びて20:53で芝居が跳ねるなり古呂奈での「時間差退場」に御免なさいして日比谷線のホームに急ぎ先頭車両から銀座で丸の内線に乗り換へ東京駅でJRの改札潜つたら21:10だつた。これは最速記録(普通なら有楽町まで歩いてJR)。常磐線の特急まで余裕ができてしまつた。東銀座で一本前の日比谷線を秒差で逃したが、あれに乗れてゐたら21:06で歌舞伎座終演から13分といふ、とんでもない記録達成だつたのだが。

*1:いや、この展開は最近見てゐた?と思つたら六月に京蔵さんの踊りの会で〈茨木〉だつた。