富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

憲法記念日

陰暦四月三日。気温摂氏8.1/18.1度。晴。昼過ぎに通り雨あり。憲法記念日

改憲「必要」2013年以降で最多56%(朝日新聞社世論調査)

これはまことにわかりやすい。晋三のやうなマヂで改憲狙ふときはブレーキとなり岸田になれば改憲といふ。結局のところ何も考へてはゐないゆゑの、この判断。古呂奈の感染拡大も欧米のロックダウンを見て「日本はあれができない」こと不安に思ふと「こゝはひとつ憲法を改正してでも」となるから。

国民の権利一時制限での緊急事態政令案「改憲して対応」に賛成が59%:朝日新聞

元々「市民の権利」や「自由」が大典ではないからロックダウンなどしなくても日本人の美徳である衛生観や「自粛」で防疫ができるのだから(といふか「さうなつてしまふ」のだから)憲法で動かす必要などない。市民革命を経ず立憲体制にある危うさがあるからこそ日本でおいそれと改憲は怖い。

石川健治(東京大学法学部)「これからの立憲主義」朝日新聞

憲法を機能させるのは「権力への意志」を押し返す「憲法への意志」です。平和主義へのコミットメントが戦後一貫して憲法を支える国民的地盤であったことを軽視すべきではありません。9条に代わる制度を支える「意志」がこの社会になければ改憲論議は空理空論に過ぎず、せっかく作った新しい条文も絵に描いた餅に終わってしまいます。政治家には(これは「政治家を含む国民には」だらう:富柏村)には条文の改正によって既存の制度の何が損なわれるのか、新しい制度が本当に機能するのかを見定める責任があります。

これまでなら憲法でかうした「大義」を語らせたら樋口陽一先生だつた。


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家人が今日は雷神さまが春季大祭をやつてゐるといふので散歩に。


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岩手県交通のバスに遭遇。「県交通」のボンネットバスを地元のボンバス愛好家が入手してボンバス仲間と走らせてゐるやう。 鳥見町はかつては料亭の並ぶ花街だつたのが風俗営業に席巻され昭和50年代に当時のトルコ風呂の殿堂のやうに開業したのがクイーンシャトー。それも手軽な風俗に時代が移行するなかで潰れ廃墟化。

バブルの権化か 異彩放つ風俗街の廃虚ビル、誰が買う?:朝日新聞

それが工事が始まつたと聞いて廃墟もついに建物解体で更地か、と思つたら大規模改修だといふので、それを散歩がてら見にいつてみた。池袋の本店のある?マリンブルーといふソープの水戸店として再開なのだ。


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それにしても何なのかしら……このチープな「明るさ」。ディズニーランドじゃないんだから。かうした風俗業の淫美は陰翳であるべきだと思ふが余りにあっけらかんと。

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元山町の雷神さま(別雷皇大神宮)は本日、春季大祭。寄つてみたら参拝者も数へるほど。縁起によれば聖武帝の神亀元年(724年)に時の常陸国守・藤原宇合不比等三男で式家の祖)が蝦夷征伐でこの地に東北安定祈願で建立だとかで京都の上賀茂神社の系列。「別雷」(わけいかづち)で雷(神鳴)の接頭「別」ワケに「若い」の意味あり勢ほひある若い雷を「別雷」といふのだとか。

昼どきでもこのあたりには捲土くらゐでロクな飲食店もなく裏道を歴史館の方に抜けて来々軒でお昼。太麺のタンメンと餃子。昨晩は横浜の中華街だつたといふのに。日本でなら「本格的中華」とりジャパナイズされた「町なかの中華」の方がやはりピンとくるのかも。


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f:id:fookpaktsuen:20220503145233j:image国道50号線を渡り砂久保の裏道を大工町の方に歩く。水浜電車(昭和41年に廃線)の線路跡にはところどころ「水浜」と掘られた石標が残つてゐる。聖光学園といふ今でもある基督教の保育園に通つてゐて裏の児童公園の向かふを市電が走つてゐた光景の記憶あり。3歳になる前のこと。泉町から市電で送り迎へされるのが楽しかつた。アタシの幼い頃の記憶のなかで、この路面電車が最も「若かりし頃」かもしれない。

interfm x ふくしまFM HOLIDAY SPECIAL Barakan Movie Paradise

このラヂオ番組が13時半に始まる前に帰宅。ラヂオといへば先週土曜12:15から21時までの、これは圧巻だつた。

今日は一日“プロレス格闘技入場曲”三昧(NHK-FM)

午後は大原富枝婉という女』読む。土佐藩家老・野中兼山失脚で兼山の「男系が死に絶へる迄」と野中婉は4歳から宿毛の地に家族と共に幽閉され末弟の死により男系途絶へ40年経つて高知に戻る。

数へ年四歳で幽居に入れられたわたくしと妹や弟は「生きる」といふことがどのやうなものか知らない。

だが「死」は必ずややつてくる。その40年の間、婉はまず兄の教授で学問に目覚め谷泰山(谷千城高祖父)より文通で!土佐南学の教へを受け医学まで書籍で学び幽閉解けた後は高知にて女医に。大原富枝は先月の高知旅行で家人が高知市内の古書肆にて富枝の小説を見つけて旅行のあとに家人が図書館で富江牧野富太郎伝記小説(草を褥に)借りて読んで、この『婉』を読んだが宿毛まで鉄道旅行をして宿毛に小野梓のほかにこんな方がゐたとは全く知らず。富枝の小説では『といふ女』とあるが40年に渡る幽閉で実の兄弟を、そして泰山師を男として意識するか否かの悶々とした〈性〉もあるが宿毛で幽閉された家屋での日々は「社会との隔絶」で詰まらぬ義理だとか「かくあるべき」の当時の社会規範にとらはれることもなく「思考の自由」を生み女といふ「性別」で生まれながらも「眉を落とさず歯を染めぬ異様な片輪女」と富枝は表したが、それこそsocial sexualityの制限を受けない「人間」を生み出したといへよう。

世俗の垢の中に漂ひながらも私は弱くはあれ自らの翅で翔ぶことのできる一匹の蟻であつた。

偶然にも憲法記念日の今日に読了となつたが、まことにこの日に読むべき自立した個人とは何か?を考へさせられる『婉』であつた。ところでこの本、図書館からの借本でタイトルで探して予約したが図書館での受け取りで、これが講談社版を原本に「埼玉福祉会」による大活字本であつた。一瞬読みづらさうで返却しようかしらと思つた読んでみると大活字が何と読みやすいことか。老眼よりも殊に右目の乱視がひどいアタシにはありがたい。

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(尊子漫画)市場で果物を前に報道の自由を説く李P家超