富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

佐藤忠男『長谷川伸論』義理人情とはなにか

農暦三月廿七日。気温摂氏18.8/26.8度。曇。

長谷川伸論―義理人情とはなにか (岩波現代文庫)

先月十七日に亡くなつた佐藤忠男先生の『長谷川伸論 - 義理人情とはなにか 』を読む。
「義理と人情を秤にかけりゃ」で我々は義理と人情を対比して考へがちで、しかも人情はあつてもつねに義理が優先されるといふ理不尽ながらの辛さでとらえがち。しかし忠男先生はそれを「いくつかの方向に同時に引き裂かれる忠誠心の分裂の葛藤」と言つてみせる。そして当時の全共闘三島由紀夫自衛隊突入といふ二つの運動のなかで(三島のご乱心について忠男先生は非常に厳しい見方をした上で)全共闘マルクス主義よりもむしろ原始的な任侠道として三島は自らを上流階級としてゐるので農民運動(百姓一揆)のやうなこの任侠道の復活に怯え「武士道によつて調伏」させやうとしたものとする。面白い。忠男先生の半生からしたら三島由紀夫ほど「見窄らしい」ものは他にないだらう。あんな生半可な冗談で天下国家を弄られなくないと思ふ。

義理人情の原理は忠義の論理を超えるものに鍛え上げなければならない。

「一宿一飯」の恩義で殺人にまで加担するといふ物語を佐藤忠男は「一見異常な発端は、はたして、それほど異常なのだろうか」とまでいふ。米国に短期滞在してゐた青年が米軍に招集されベトナム戦争に従軍させられたとか日系二世の若者が太平洋戦争勃発で日本に滞在してゐて対米戦争の兵隊に、といふやうな事例から実は「国家こそは一宿一飯の掟を肯定してゐる」。

国家が一宿一飯の掟を完全に独占することに成功したとき地域社会や職能社会における独自の掟は封建的なものとして否定されるのに至るのである。そして思想的に否定されたとき、なおかつそこに残っているこの掟のイメージは卑しいものとして自らへり下ることを求められる。

確かに人々が殺人や強奪などが罪とされ武器を取り上げられるのは殺人を含む暴力行為を国家権力が独占することが前提。国家のみが合法的に死刑を含む殺人行為までする権利を有する。その裏返しが暴力のない世の中なのだから。我々は「近代化」の中で道徳的に、倫理的にそれまでの暴力を含む自由な衝動までをも骨抜きにされ義理や人情が物語や映画の中でデフォルメされてゆく。盛綱陣屋も熊谷陣屋も我々には「ありえない」話だが、あれのどこが面白いのか、といへばルサンチマン的な要素もあるのかもしれない。こんな悲しみに比べたら、まだアタシたちは幸せかもしれない……「だから不幸に惹かれる」。
佐藤忠男はかなりニーチェの思考に対する共感がある。キリスト教では「神の前では人間は平等」(つまり現実の世の中は不平等なのだが)で欲深き資産家や権力者は正直な貧乏人よりも神の門を潜ることは難しく「天国というビジョンの世界を創り出すことによって金持ちや権力者に復讐すること」ができる。所詮、現実では圧政者をはねのけることなどできない。日本では仏教で浄土思想はこれにあたるが仏教は階層によつて宗派からことなりキリスト教ほど強烈な道徳的規制力をもつことはなかつた。佐藤忠男は言及してゐないが日本での16世紀の耶蘇教の普及や江戸時代を通じての信仰も、これに基づくところはあるだらう。
そして佐藤は「近代」に創造された天皇制について言及する。自然のオ親と子の関係を天皇と赤子として、そこに「愛情」を据ゑた歪な形。それを徹底するための教育。それを成立させたのは日本の疑似的な家族主義だと見做す。本来、個人がなければ組織としての家族は成立しないのだが「家族あっての」とできたこと。学校の教師と生徒の関係から、企業での雇用関係、そして国家の体制(國體)までもが全てこれでできてしまふ。そこに無理やりに「義理人情」を嵌め込むから始末が悪いのである。
佐藤忠男長谷川伸といふ劇作家を通じて、かうした日本社会までをもパースペクティヴに見通してゐることにたゞ/\敬服。

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2019年秋の香港区議会選挙は香港市民が民主派に圧倒的な支持を与へ投票した結果、彼らが当選した「に過ぎない」のだが国安法下の香港では民主派の立候補者たちの組織的な反政府的社会転覆の計画(35+初選)によつて香港の社会治安さらには中共の国家体制までをも転覆させる危機がもたらされた、となり彼らは逮捕され身柄拘束され実刑の服役。香港はかつて人民行動党独裁の新加坡を「怖い」と思つてゐたが今では新加坡すら楽園に思へるほどの恐怖政治社会になつてしまつた。

香港になど誰が喜んで帰つて来るだらうか(尊子漫画)明報