富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

胡適(中国革命の中のリベラリズム)

f:id:fookpaktsuen:20211110072523j:plain

あの衆院選挙から1週間が過ぎて、その間に立憲では枝野氏の代表辞任、維新と国民の擦り寄りが見られた。朝日新聞世論調査結果(昨日朝刊)にこの選挙に対する国民の意思は如実に表れてゐるだらう。常に「野党がダメだから」で自民党を選ぶ。自民党がダメだから、と野党は選ばない。野党をダメにしてゐるのは自分たちなのだが。いずれにせよ他力本願の極み。日曜日のバラカンさんのラヂオ番組で最初に読まれたメッセージが31日の選挙で「自分が願った結果が出ず落胆で、そんなことがずっと続いてゐて日本の政治は大丈夫かと思ふがこれからもあきらめず投票に行くしかない」といふものでNick Loweの“WHAT'S SO FUNNY 'BOUT PEACE LOVE AND UNDERSTANDING?”が流れた。アタシも選挙権を得てから何度も「なんだこりゃ」の選挙結果に自分の投票は馬券並みに当たらないと痛感してゐるが最近はもう自分の選択がけして正しくないのではないか?とすら思ふやうになつてゐる。先週金曜日の武田砂鉄さんのTBSのラジオ番組で中島岳志さん(東工大教授)がゲストで「私と利他行為」について語つてゐた。『思いがけず利他』の10月下旬の刊行にあたつて。「自己責任論を超へて」で利他を自己の考へとすることについて。利他であつても自己の犠牲ではないことでは賢治だとか思ひあたるところで日蓮まで遡つてもよい。その考へについては大切なことだとは思ふが政治思想研究の中島先生が具体的な時事問題から、かうした観念的な世界に関心を移していくのも、もはや生臭い政治に希望がないことなのかしら。

胡適 1891-1962 〔中国革命の中のリベラリズム〕

ジェロームBグリーダー『胡適 1891-1962 中国革命の中のリベラリズム』(藤原書店)読了。この大著は佐藤公彦による翻訳で佐藤はこれに触発され胡適が序言を書いた陳独秀遺著『陳独秀の最後の見解』の解読を基に独秀の生涯を綴つた『陳独秀 その思想と生涯 1879-1942』を、この胡適本と同じ内容量で大著として上梓してゐる。辛亥革命中華民国が成立し政治的には不安定な1920年代の北京。『新青年』が若者に近代政治思想を説き蔡元培が北京大学の校長で陳独秀を文学院長に、李大釗を図書館長に任命し米国にゐた胡適も教授として北大に招かれる。夢と希望に溢れる最も良い時代。陳独秀、李大釗が急速にマルクス主義に傾倒するなか胡適は米国のデューイ的な自由主義で直接には政治に距離をとつてゐたのだが、その胡適を政治に引き込んだのは日本の中国侵略。1937年の7月に胡適は国民党政府による学者や文化人を集めた「民族的政治危機」に関する夏のセミナーに参加するため北京を離れ江西省の名所・廬山にある避暑地・牯嶺*1を訪れてゐる。胡適が北京に戻るのに9年を要することにならうとは。その月の7日に盧溝橋事件(支那事変)が起き日中戦争となるなかで胡適自由主義を護るため国民党政府に直接を関与をせざるを得なくなる。欧米に対日戦での中国支援を求めるため外遊に出向き米国に滞在してゐたとき蒋介石胡適中華民国の駐米大使に任命。対日戦に勝利したものゝ国内は国共対立が激しくなり1945年の9月、米国にゐた胡適毛沢東に電文を送つてゐる。胡適毛沢東中共に対して国民党との対立を避け武力に頼らない第二政党を作り平和主義路線をとるよう求めてゐるのだが毛沢東にしてみたら胡適のこのやうな自由主義、平和主義は抱腹絶倒であらう。何をぬかすか、書生論。胡適は中国当代一の知識人ではあつたが偉大なる毛沢東ワーグナーのやうな交響詩の響きに対しては役者が違ひすぎて無力。中共による国民党駆逐で中共建国の直前に胡適蒋介石の手配した飛行機で北京から他の知識人らとともに避難。戦後、胡適台北の中央研究院院長が最後の公職となるが中共に負けて胡適の輝かしい自由主義思想は打ちのめされたまゝ。大陸での文化大革命を見ないまゝ1962年に台北での逝去。毛沢東は湖南の師範学校を出て上京、北京大学の図書館司書として糊口を凌ぎ共産主義を書籍から読み抜く。その時の上司が李大釗で陳独秀胡適は文学院の指導教官であつた。彼らの頭でっかちな思想を何う凌いでゆくか、は若き毛沢東にとつての思想的奮起の源であつただらう。役者が違ひすぎたのだ。

f:id:fookpaktsuen:20211109074508j:image
f:id:fookpaktsuen:20211109074506j:image

香港立法会選挙(12月19日)で地区直選の候補者の半数は非建制派(明報)。従前からの民主派は排除され反政府ではない穏健者立候補で中には民主派の名乗りもあり。どのような状況でも非建制派の意見も立法会で反映させなければいけないといふ市民の積極的関与といふ見方もできるが、これにより「香港の特色ある民主主義」が成立してゐるといふ政府側の口実にもなり、どちらかといへば後者であらう。尊子一コマ漫画(明報)は投票箱に「ここに民意表達厳禁」と、香港の民意も通じない政治状況を批判してゐるが、この漫画がよく発禁にならないことに今はむしろ驚かされる。
f:id:fookpaktsuen:20211109074512j:image
f:id:fookpaktsuen:20211109074510j:image

*1:牯嶺には蒋介石の夏の別荘があり台湾に蒋介石が渡り台北の市街にも総督府から近い場所に牯嶺街があり学者や文人、教養ある軍幹部を住まわせてゐる。