富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

千利休の「わび」とはなにか

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衣替へはしたのにお帽子を夏物から冬物にしてゐなかつた。お帽子は好きなのに古呂奈で口罩をしてゐてchapeauをかぶると何だか「笑ゥせぇるすまん」みたいだし眼鏡をかけてゐたら尚更怪しい、といふか格好悪い。それに夏は日傘をさすやうになつて日傘をさしてお帽子は見た目が重すぎる。それに麻生太郎の帽子姿が醜悪でせう。chapeauをかぶることなく季節が過ぎてゆく。

千利休の「わび」とはなにか (角川ソフィア文庫)

神津朝夫『千利休の「わび」とはなにか 』(角川選書)読む。著者の『茶の湯の歴史』も本当に勉強になつたが、この本も目からウロコいくつかあり。何よりも国宝の茶室「待庵」は
利休=待庵
みたいに利休の「わびさび」の象徴のやうで藤森先生の
宝積寺阿弥陀堂解体→待庵
の大胆な発想もあれはあれで面白いのだが神津先生は待庵の二畳の茶室が、あれは茶室の一つの形であつてもけして究極の完成形ではなく秀吉から「二畳の茶室を設へよ」と命じたから、それをあのテイストで建造してみせたわけで、それだけでも凄いことだが、それ以外の茶室の空間性を否定するものではないといふ見方。確かにもしあれが究極の形だつたら日本中の茶室があれ以降あの形になつてしまふわけで、藤森先生とは違ふ意味で神津先生の発想の自由さが心地良い。勿論、その二畳で狭い空間を何う広く感じさせるか、で利休の力量が発揮されるのだが。そしてアタシのやうな茶の湯についてほとんど何も知らない者でも茶の湯は 珠光→紹鷗→利休 といふ流れであつて商人による茶の湯足利将軍家に比べれば見劣りする茶室と茶器だつたが「やつし」といふコンセプトで利休は「わび」を深化させた(南方録にもさう書かれてゐる)……だが神津先生は利休の師は紹鷗でなく玄哉だと見抜く。だが珠光からの茶の湯臨済宗大徳寺派でないといけないから法華経の玄哉は利休の師として相応しくない。一向宗との関係も面白い。

完全円満な美に対して不完全な美が、均衡のとれた典雅な美に対して不均衡でやつれた美が、より高次の美として評価されるやうになった。

この「不完全な美」については神津先生『茶の湯の歴史』でも天心『茶の本』から引用で言及されてゐるが、このわびの概念がなかつたら茶の湯は面白味も何もないだらう。この「やつし」についてこの本では能のついても語られてゐる。

心で成功する能というのは最高級の名手がたくさんの種類の能をすっかり究めたのち、謡や舞においても、演技においても、また筋だて等においても、あまり観客を喜ばせるような所のない能を演じ、寂び寂びとした味わいのうちにも、どことなく人の心を深く感動させるようなもので、これを「冷えた曲」というものである。この芸境は、そうとう眼識のなる批評者でも、なかなか見分けがつかない。- 世阿弥『花鏡』より「批判之事」の一節、小西甚一による現代語訳より

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香港で立場新聞の編集長辞職といふ報道(明報)。「家庭の事情」で編集長の妻は蘋果日報副社長で身柄拘束中の由。蘋果日報なきあと最も報道の自由を守る立場にあるネット上の報道機関。国安法の圧力を受けるであらう錚々たる面々の役員たち、マーガレット呉靄儀(懲役刑)や歌手のデニス何韻詩、練乙錚(山梨学院大学)らが運営母体を離れ弾圧のリスク回避して今日まで報道は続いてゐるのだが香港の自由な報道は風前の灯。

中国共産党6中全会で40年ぶりの総括「第3の歴史決議」へ - 習近平長期政変への布石:朝日新聞

Xi Jinping is rewriting history to justify his rule for years to come | The Economist

習近平の政権長期化で習近平がどこまで現役を続けるのかは不明だが中共建国100年の2049年は28年後で習近平96歳である。存命でもおかしくない話でエリザベス女王が95歳なのだから習近平が名誉国家主席どころか現職のまゝであつてもおかしくはないか。

▼中根千枝さん死去「タテ社会の人間関係」 タテ社会という着想はどこから来たのか。「日本の村を調査したときに見た寄り合いでのやりとりと、東京大学で見た教授会のやりとりが同じだったからよ」。 https://t.co/I5NOGLHagT

▼子どもでもおこづかいの無駄づかいは厳しく叱責され減額とかペナルティがあるのに政府は2108億円ドブに捨てても検査院に注意されるだけとは。 https://t.co/PrO0XjqVkJ