富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農暦九月廿八日


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香港で公共施設等への出入りで強制となつた「安心」アプリ昨日から使用開始で早速、アプリの不正使用(個人データ偽装)で5人が逮捕され内3人は香港市役所の公務員だつた由。2人は入境事務処の主任とアシスタントでもう1人は市役所の監査部署の主任。自分のスマホを使わず別なもの用意して更に偽の個人情報登録となると立派な犯罪行為ださうだが、そもそも感染防止とかの安心アプリなら本人の追跡もできぬ「いばらきアマビエちゃん」で良いわけで、それが強制で刑罰つきとは。それがおかしいとして「不正」も発生するのだらうが。いずれにせよ初日の不正者の5人のうち3人が公務員では当局はやはり「本来、公正と正義であるべき公務員に反政府活動家がっ!」でさらに基本法や国安法への宣誓義務付けなどに走るのだらう。

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昼にみかわでお蕎麦。つとめて正座をするやうにしてきて今では蕎麦やで注文してから蕎麦を啜る間くらゐは正座してゐられるやうになつた。さすがにおうなではまだ無理かしら。能で地謡ひや笛の方など板間に1時間以上正座してゐるのだから。秋の青天とはいへ気温も摂氏21度超へで汗ばむほど。菩提寺に寄ると境内の銀杏が見事に色づき庭師も落ち葉掃きと銀杏の実の処理が大変。樹齢三百年といはれる銀杏で実も立派になつてゐるが落雷だつたか地震のときか上方が折れて短くなつた。

さうさう昼といへば昨日、上水戸のインドカレー屋に入つたら店内で流れてゐるのはシタールとかぢゃなくて長唄で面食らつた。テレビがつけっ放しになつてゐて飲食店のテレビでNHKのEテレで「にっぽんの芸能」で壱太郎の不思議な舞踊。飲食店でEテレも初めてだがインド系2人が働くインドカレー長唄に日本舞踊……シュールな体験であつた。

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千波湖畔の並木や公園の樹木も色づきはじめる。茨城県立近代美術館で「上田薫とリアルな絵画」展参観。スーパーリアリズムの、人間の視覚を超越した緻密な絵画表現。そのなかでも上田薫の作品は生卵の白身だとか水だとか「透明なものを何を何う描くか」が課題で、現実の視覚以上に、その水分に反射するものが緻密に描かれることで透明が表現され、その反射には光がなければいけないので光を何うとらへるかまで創造がひろがる。光があることでモノが存在することをわたしたちが認知することをつくづく痛感させられる。それが1枚の巨大なスーパーリアリズム絵画を遠くから眺めると、さうした「細工」は一切気にならず何も光の屈折もない透明に見えるから。茨城県立の4つの美術館の年間パスは今年末までのものがコロナ休館で1月延長となつてゐたが今日更に3ヵ月延長で4月末までと知らされる。

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この美術館の横の斜面に可愛らしい小さな木造の洋館がある。中村彜(1887~1924)のアトリエ兼住宅で新宿の下落合に現存するものを彜の郷里である水戸で復元新築。昨年から近代美術館は休館も挟んで再開となつてゐたがアトリエは見学希望者がゐた場合の開錠のため休館したまゝだつたのが先週から見学再開したさう。美術館で見学を伝へボランティアが案内してくれる。結核で体調不良の続いた彜の小さな寝台がある居室と一間で続いた少し広いアトリエ、それに彜の遺作となつた〈老母の像〉のモデルである同居した岡崎きいの三畳間。それに台所で、このくらゐの広さがあれば住まふには十分。これは侘数寄にも通じる心の余裕だらう。下落合のこのアトリエは戦火も免れたが彜の死後に普請、増改築が進み現在はそれを大正5年の建築当初の姿に復元してゐる。下落合の「本家」の方は訪れたことはないが写真で見ると居間の寝台が取り除かれてゐるやうで病身の彜が起き上がることができれば、そのまゝアトリエで絵筆をとつたと思ふと、この寝台の存在はとても大切。彜は水府の旧寺町(現金町)に生まれ「生誕の地」は今は市立五軒小学校で、その当時は今の水戸芸術館のあつた五軒小に彜も通つてゐる。墓があるのも祇園寺で昨日の散歩では、その生誕の地から祇園寺も歩いてゐた。昔の五軒小には薄暗い郷土史料室があつて誰もゐないその部屋に入ると著名な卒業生として白衣姿のキリストのやうな彜の写真と、この〈老婆の像〉も写真だつたのか掛けてあつた。ボランティアの方の説明によれば岡崎きい刀自は土佐藩士の娘で毅然とした方なのだつたさう。