王毅外相が相変はらず怖い顔で記者会見に応じてゐるが香港や台湾、ウイグルやチベットなど中共の弾圧が続くが、それらの地域が中共にとつて「核心的利益」としてゐるだけでも正直かもしれない。これらの地域が不安定になれば中共の存続すら危うくなること。だから絶対に譲歩はできない。それでもそれらの地域にしてみたら自らの核心的利益は否定されるわけで全くもつて容認できるはずもないが実は(中共の肩を持つわけぢゃないが)米国も同様のことをしてゐる。「米国とは異なる価値観と制度を持つ国が存在する」(王毅)のだ。だがその利益のためにウイグルやチベットの漢化なんておかしな話で絶対に容認できないのだが。
貴族はしばしば権力を求め、市民は自由を求め、王は絶対的支配権を求めてそれぞれ事を荒立てました。こうした事態に対して、この国の法律が上手(うま)く歯止めをかけてはいたものの、時には三者のいずれかが調和を乱し、これが一度ならず内乱につながりました。(スヰフト『ガリバー旅行記』柴田元幸譯)
(香港選挙制度の改変について)候補者の資格審査制度が新設されれば過去に香港国家安全維持法(国安法)違反の罪に問われた人は「立候補は不可能になる」。選挙制度を変える原因は2019年の反政府デモにある。「中央(政府)に反対する者が立候補することは中国の利益にならない」。立法会の一部議席は(行政長官選で投票権を持つ)選挙委員会の推薦枠になる。12月に予定される同委員会メンバーの選出が先決。準備が間に合わなければ立法会選は延期されても問題ないとの見解。
未明にめざめて、この『肉の告白』読了。フーコーの『性の歴史』で若い頃に『知への意思』読んだ時は本当に珍紛漢紛で閉口したが『快楽の活用』『自己への配慮』と読み進むうちにフーコーの言説がどこからか理解できるやうになり今回の『肉の告白』。本人がこの刊行禁じて亡くなり30年経つての公開となつたが、この『性の歴史』は執筆開始の時の関心と著述内容が大きく変はり『快楽の』『自己への』と展開していつたが『肉の』の内容は煮きれてをらず本人が封印してゐたやうな印象あり。それを開封してしまふのだから、まさにフーコーに対する生権力行使のやう。
- 子づくりの行為は神「ゆえに」なされねばならない。なぜなら先ず「増えよ」と語りつつ子づくりを命じているのは神だからであり、加えて人間は子づくりを行うことによって「神の像」であり「人間の誕生に」人間として「協力する」からである。(クレメンス)
- 愛の快楽をあまりに頻繁に使用すると、長く続く苦痛、病、虚弱が生じる可能性がある。(同)
- 〈教会〉はキリストの肉と骨嘉らつくられた。そして善によって清められた妻として〈教会〉は、その胎内に「至福の霊的な子種」を受け取るのだ。キリストの忘我状態は絶えず刷新される。
- 結婚と子づくりとの分離をクリュソストモスは人間、その堕罪、その救済をめぐる一般史から出発して実行する。(略)子づくりが『創世記』において人間が想像されるまさにそのときに告げられているということ。「産めよ、増えよ」。従って女の創造よりも前に、堕罪よりも前に、堕罪を罰する死と苦しみよりも前に告げられているということ。
- 古代世界における性行為は「発作性のひとかたまり」として、つまり個人がそこで他者との関係の快楽の中に沈潜し、死を模倣するに至る様な、痙攣性の統一体として考えられていた。そのひとかたまりについて、それを分析することは問題とならず、それを快楽と全般的エコノミーのなかに置き直すこと必要とされていただけであった。
- 真理が教義との合致と個々人の秘密という二重の形態のもとで、牧者と羊太刀と関係が結ばれる際の決定的な要素になったということ。すなわち一方では教養との合致を認識し認識させられることが必要とされ、他方では個々人の秘密を発見すること、場合によってはそれを罰したり矯正すること、いずれにしてもそれを考慮に入れることが必要とされるのである。
キリスト教社会の道徳が実は異教徒の倫理から多くを借り受け、キリスト教固有の「自己の実践」の発達とともに道徳が形成され、その後の西洋社会で決定的重要性をもつものとして考察に委ねられていること。
本日農暦正月廿四。三寒四温に身体がついてゆけず。
他人様にお取りした某レストランのお弁当なのでしたが小さな蜜柑とゆで卵が、それぞれカットしてないどころか蜜柑は外皮のまゝ、ゆで卵は殻のまゝ入つてゐて驚いた。ピクニックのお弁当ならマダしも。コロナ対策で食べる物に直接触れないやうに、なのかしら。お客様にモスリムもゐるので豚肉は避けてとお願いして鶏肉になつたものの鶏腿肉のソテーの上に焼き鳥が載つてゐた。レストランもコロナ禍でセンスまでかなり疲弊してしまつたのか。
インドネシアの若者が何と呼ぶのだつたかインドネシアの伝統的な何芋だつたかパインだつたかの葉を帯にして編む、両手で一気に両面の織れる、そのやり方をその場にゐた人たちに教えてくれたのだが即興でその場で一気にできたのはアタシ一人だつた。手先が器用なのは家系かもしれない。
なんてステキなのかしら、小泉今日子さま。