富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

我が国のメルトダウン

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香港から中共で進学の学生増と喜ぶ大公報。蘋果日報は昨年の反送中で謎の溺死少女につき警察の自殺説につき司法解剖権威の医師が溺死に同意できずと。香港警察が抗議派に拷問で少女死なせてしまひ自殺に見せかけ海に投げた……といふ推論にそのまゝ同意も難しいが素直に自殺とは思へず何らかの偶然も含め不測の出来事が幾つか重なりあひ、この死なのだらう。

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たゞ疫禍に日々を過ごすなか今年も2/3が終はつてしまつた。9月になると早くも来年の手帳発売となりアタシはもう6、7年だらうか愛用の能率手帳のNOLTYを昨日注文せば送料無料で今日に届く。

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正直なところ隠居老人の身でA5版(つまり見開きA4版、これは手帖業界では大型である)など空白に世捨ての侘しさ感ぢ入るばかりだが、このレイアウトに慣れてゐる。糸井の「ほゞ日」は何年か付き合つたが……自分も何度か御人前で披露してしまつたが」ほゞ日の手帖を「ほらーっ!〜」って披露された時って反応困るんですよね、糸井さん。「へぇ……」って済ませたら披露主が落胆するだらうから「うわぁー、すごい!」つてゐはないといけない、これって左翼の民主集中制的でせう。

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水戸市役所前のラムといふインド料理屋の昼弁当でキーマカレー飰す。吉野家とか駅蕎麦とかコンビニのおにぎりとか何といつても水戸は泉町・水戸屋のお稲荷さんとか安い昼食はいつもだが500円の「ワンコインランチ」はきちんとそれは今日が初めてかもしれない。ちゃんと美味しい。ところで水戸駅ビル北口のExcelの食堂街にあつたインド・ネパール料理屋は昨年閉めてしまつて今は何処に。この食肆知る方は皆こゝの客遇ひが何と思ひやりあるものだつたか、と懐かしむ。

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千波湖畔の桜川で水位が2mほど下がり川底が見えるほど。渇水かと驚くが連日快晴ながら驟雨もあり干魃といふやうな天候ではない。何らかの目的で桜川下流那珂川に灌ぐ堰を開けたのかしら……と思つたら水戸市の公園緑地課・千波湖管理室の情報に市内下市にある桜川の柳堤堰(りゅうていせき、ラバーダム)に関する情報あり(こちら)。柳堤堰は桜川から備前堀へ水を送るために平成13年に完成したもので柳堤堰を上げ桜川の水位を上昇させることで備前堀へと水が流れるが、その一方で千波湖から桜川への水の流れが悪くなり水が滞留し桜川・千波湖でのアオコの発生につながる、と。確かに先週の猛暑で桜川にアオコの発生がひどかつた。それで今回の放水につながつた模様。

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▼先週、水戸の自動車免許の試験場に免許証の切替に往つた県南在住の西班牙人が英語十分に解すのだが「外国の免許証を取得した時の方法等について聴き取り審査を行いますので日本語を話せない方は通訳の方を同伴してください」の指示逸して当日の対応出来なかつたと聞く。この聞き取り、所詮、簡単な聞き取りで、かうしたことがせめて英語なら中学3年修了レベルの英語で十分に出来るわけだが県警OB多き免許センターで、この程度の英語もできぬのかと実に情けないかぎり。こんな国はアジアで他に何処かあるのかしら。それでも外国免許からの切替は予約なしでも当日できるのは茨城はまだマシな方かもしれず北海道は外国免許からの切替は事前予約制。首都東京ならまだマシかと思へば東京は「日本語が話せない方には通訳できる方の同伴をお願いする場合があります」と更に曖昧で唖然とするばかり。これで世界第三位の経済体とは……完ぺきに先進国から脱落の為体。マジにこの国はダメだらう。運転免許証の取り扱ひが各地方自治体の警察機構になつてゐるのは地方自治の原点のやうだが(実際には戦後直後は地方で公選制だつた公安衣委員会は非民主的制度になつたのは教委と一緒だが)結局のところ各都道府県毎に「外国免許の切替」といつた実に事務的な手続きすら都道府県毎に方法に曖昧である事実。例へば「認知確認、技能確認を免除する国等」の一つとつても東京の警視庁や道警にはこれにつき29か国と地域

氷国、愛蘭土、米国(維吉尼亜州、夏夷州、米利蘭土州及び華盛頓州に限る)、英国、意太利、豪州、墺太利和蘭、加奈陀、韓国、希臘、瑞西瑞典、西班牙、斯洛維尼、捷克、丹麥、獨逸、新西蘭、諾威、洪牙利、芬蘭、法蘭西、白耳義、波蘭葡萄牙、摩納哥、盧森堡、台湾

とするが、これにつき警視庁と道警には言及あるが茨城県警は不問。よつて中共香港の自動車免許有するアタシは認知と技能確認なしで日本の運転免許に切替できたのである。日本のこの「緩さ」は如何なるものなのか。

▼日本の英語レベルがアジアでも最低レベルでヤヴァいと呆れるたのが法務省の外国人在留支援センターの「コロナ禍で困っている外国人のための電話相談窓口」である。優しい日本語(こちら)はまだマシなのだが英語のリーフレットこちら)一読して中学生の英作文でも✖️になりさうな稚拙さに言葉もない。

We can tell you about help that is available to you, and what you need to do to stay resident in Japan. 

かりにネット上でGoogle先生の自動翻訳に頼つたにせよ、この英語に法務省で小役人どもは誰も違和感感じないのかしら。或いは晋三政権の政府行政劣化で誰もこの英訳をチェックすらしてゐないのか。行政から法曹まで本来、優秀であるべき専門家たちのメルトダウンは実際に彼らに何かの機会に接してみても呆れるばかりで言葉もないが本当に日本はヤヴァいレベルにある。なんであんあバカたちが国家試験に合格したりして日本の運命を担つてゐるのか……。

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この〈長周新聞〉は一見してパロディかと。晋三の地元の山口で下関でこんな晋三に罵詈の新聞があるなんて……だが事実。共産党除名された藤田正義が主宰の反体制ジャーナリズムで藤田の死後も「晋三の地元」でかうして続くとは。 

(以下、要旨)各省の官僚の任命権については、もともと国家公務員法で各省大臣が持つと明記あり。現実には官僚側と政治側で牽制し合い微妙にバランスを保つ中、あまり官僚の意に沿わない人事は行わないという不文律あり。これを安倍政権は一気に突破。もともと建前上は政治が人事を決めるとあるだけに強い。官僚たちはあっという間に最終防衛ラインを突破された。
(典型的的なケースは)まず官僚を驚かせたのが2013年8月の小松一郎駐仏大使(外務省出身)の内閣法制局長官への起用。法令案の審査などをする内閣法制局の長官は内閣に対しても非常に独立性が高い存在と思われており霞が関の中でも一目置かれる特別な存在。人格・能力ともに優れた人が内部昇格で選ばれるのが慣例。それを集団的自衛権の解釈変更のために異例の外部起用。これで官僚たちは目が点になった。
いつしか官僚たちが積極的に忖度競争をするようになり「悪貨が良貨を駆逐する結果」に。官僚にとって最も重要な倫理観が歪んでしまった。これは安倍政権自体の倫理観が歴代政権の中でも低いことが影響。善悪の判断基準が政治的、道義的責任などではなく「刑事犯罪でなければ大丈夫」というところまで下がった。
官僚には三つのタイプがある一つ目に権力や高給ではなく国民のために働きたいという赤木さんのような「消防士型」。
二つ目に食いっぱぐれがないので公務員を選んだ「凡人型」。安倍政権終盤で忖度を始めるのがこのタイプ。
三つ目が「中央エリート官僚型」。彼らが求めるのは金じゃなく「自分はできる、すごい」と日々実感できること。こういう人が官邸に入ると、いわゆる超上から目線の「官邸官僚」となる。さらに悪いことに安倍首相は憲法改正などの一部の分野を除けば行政への知見もなく特に何かしたいというテーマもそう多くはなかった。その結果、今井尚哉・首相補佐官ら「官邸官僚」のやりたい放題となった。
経産省というのは貿易自由化が進み産業に関する規制もなくなった1990年代から存在意義が無いと言われてきた。そこで毎年「クール・ジャパン」や「プレミアム・フライデー」など、ほとんど意味はないが一見派手な政策を打ち出すようになった。世間や政治家の耳目を引き予算を取るのです。そういうノウハウを持つ人たちが官邸に入ったので政府から「1億総活躍」だとか毎年違うキャッチフレーズが出るようになった。成果はほとんど出ないが彼らは気にしない。
こういう事業は電通と相性が良い。大して中身のない政策をすごく良いもののように見せるのを手伝うのがうまい。電通も利益が計算できる事業を確保できて両者は共生関係となった。
(コロナ対策でのアベノマスクは)そもそも前例踏襲が基本の官僚が新型コロナのような未知の事態に対応するのは難しい。マスク全戸配布は苦し紛れという感じ。利権などが疑われたが単に対応能力が無かったということ。
もともと政治主導は「脱・官僚主導」だと前向きに捉えられていて、だからこそ旧民主党政権も目標に掲げた。そして、なぜ官僚を政治がコントロールしていいのかというと、それは政治家が国民から選ばれているから。だから、もし政治が国民のことを考えずに官僚を使い変なことをしていると思えば国民が選挙でノーを突きつけるべき。政治主導とは国民主導であり究極的に霞が関を立て直すことができるのは国民だ。

(多少簡略あり)支持率や政策が堅調な時に病で辞任したわけではなかった(辞めた後に支持率上昇の珍事があったがお決まりの同情票に過ぎずメディアの最後の忖度だったのか本来調査する意味はない)。事実上もうどうやっても支持率は回復しない(辞めなければ上がらない)状況での辞任だった。さまざまな積み重ねの結果だが、わかりやすい「アベノマスク」が決定打だったと思う。あれさえなければ、ここまで支持率は下がらなかったろう。だがアベノマスクは実に安倍政権らしく、その伏線は加計学園の問題の時から既に始まっていたと思う。
加計学園獣医学部新設で国家の私物化を疑われた時、政権の支持者たちが無理やり擁護してしまった。あれがいけなかった。駄目なものは駄目だと、せめて加計学園より条件がそろっていた大学を落選させるようなことは、すべきでなかったと意見する者が周囲にいればよかった。一部メディアやみっともない論客が必死に政権を擁護した。人間として、あれほど醜い姿もない。官僚も忖度をしまくり、自民党の議員たちもごく一部を除き反対しなかった。メディアに圧力をか、国会を軽視すれば乗り切れるとなってしまった。あの時に首相が完全に反省していれば、つまり安倍政権を批判する人たちの言葉に耳を傾け自己改善をしていれば後の桜を見る会とその前夜祭の問題、検事長の定年延長問題なども起こらなかっただろう。
自分を褒めてくれる人、忖度してくれる人、反対意見を言わない人ばかりで周囲を固めていたのではないか。その結果、秘書官が思いついたとされるアベノマスクという決定的な愚策を断行してしまった。誰も反対しなかった。コロナ対策もうまくいっていない。それはそうだろう。反対意見を許さない空気をつくれば多様な知恵など出るはずがなく、そんな国家は衰退するに決まっている(コロナ対策がどううまくいっていないかは、前回のコラムで書いた。コロナの猛威は地域差があり、東アジアや同じ島国のニュージーランドと比べるべきだとだけ繰り返しておく。日本は決定的なチャンスを逃した)。
つまり安倍政権の政策の行き詰まり、低支持率は首相だけの責任ではなく忖度したメディア、論客、役人、自民党議員たちの責任でもある。そうであるの、首相のすぐ近くにいたはずの閣僚などが挙って総裁選への立候補を画策する姿は呆れる他ない。せめて政治家のプライドも捨てイエスマンと化したことを反省してからではないか。僕の思想とは合わないが今回の総裁選で名の挙がる候補者のうち立候補の資格があるとすれば石破茂氏だけだろう。彼と数人の議員だけが現政権を時に批判し自民党の多様性を孤軍奮闘に守ろうとしていたからだ。だが自民党は党員たちに政策の是非を広く問わない方法、両院議員総会で新総裁を決めようとしている。つまり派閥の力学で決めようとしている。どこまでも自分たちのことしか考えていないようだ。これではまた、同じことの繰り返しだろう。
一部メディアはまた政権にみっともなく忖度し政権を擁護する論客がまたメディアに出て異論を封じまた新政権も反省なく突っ走るようになるだろう。そしてまた権力に酔い国家の私物化に酔い、いつか第二のアベノマスクのような歴史的愚策を当然の帰結としてやってのけ、再び終わるのだろう。
被害を受けるのはまた国民である。ちなみに安倍政権の功績として雇用の改善を挙げる人があるが少子高齢化の結果に過ぎず民主党時代から改善が始まっていたことはデータに目を向ければ誰がどう見ても明らかである。 

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