富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

香港立法会選挙1年延期


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すでに数日前からいはれてゐたことだが昨夕、林鄭が9月の立法会選挙を武肺感染拡大を理由に1年延期と宣ふ。「託つける」とはまさに、これ。この程度の伝染病で市民の健康優先で立法会の選挙延期とは前代未聞(東京の都知事選も予定通り実視された)。国安法は中共が従前から求めてゐた立法で強制も驚かないが今回のこの立法会選挙延期は呆れて言葉もなし。それほど今回の選挙は民主派有利だつたのか。それにしても民主派議員をDQした上で選挙ぢたい延期とは民主派も追ひ込まれてゐるが中共と香港市役所も逃げ場ないくらゐ次策なしに追ひ詰められてゐるのも事実。いずれにせよ法治の崩壊なのだが。中共は本来、香港を用ゐて一国両制実視することで中共に対する法治評価も高めることができるはずだつたのが香港での自治介入で「中共にはやはり香港ですら法治はできない」といふ事実を明白に。なぜそれほどまでに余裕がないのか。習近平政権で国内の「公共安全」はかなり抑えきつてゐるやうにみえて実際は時限爆弾かゝへてゐるやうなもので党内もけして一枚岩ではないのだらう。


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立法会選挙を1年延期するが現行の立法会は今年8月で任期全うの場合、現行立法会の任期を1年延長するためには法的に様々な手順が必要で、それが疫禍で立法ばかりか行政、司法も実務的に機能しないなかで夏休みとなり9月までの法的整備も間に合はず。そこで、この空白期間の立法を上部組織の全人代常委が掌握といふ話も。全人代は香港も含めた人民により選出された代表による民主的組織なので、この措置が非民主的といふ海外勢力からの干渉には(理論上は)反論できるのか……ヘソで茶を沸かすやうな話だが。 

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3月末からの、あの感染に我々はじっと堪へてゐたのに今回の第2波はまるで慣れることを仕向けられてゐるやう。かうなると都知事選に出た候補者の「コロナはたゞの風邪」ぢゃないが通常のインフルエンザ並みの反応にならざるを得ないのか。

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昨夕から天気は快方にむかつてゐたが今朝は見事な青空。春も天気は良かつたが春のぼんやりした空で遠くの那須の方の山並みまでくっきりとは見えなかつたが、それが今日ははっきりと。 


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朝、散髪に行つた帰りに理髪店近くの田中といふパン屋に寄る。昔から有名な昭和のパン店で何十年も前からお婆ちゃんが小売りを切り盛りしてゐるが今日もまたお婆ちゃんは矍鑠と。店に掛けられた賞状で一番古いのは昭和27年のものであつた。こゝのパンがじつに美味い。


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晩に野菜を天ぷらに揚げるのにゴボウがないといふので駅ビルのスーパーに出向いたら台湾マンゴー1個が980円であつた。これを台湾でマンゴーの産地・玉井に出向いたら小ぶりで安いものなら一山10個は買へる。それにしても「台湾の台湾マンゴー」とは。「中華民国の台湾マンゴー」なら、まだわかる気も。台湾マンゴー頬張りに玉井訪れたのはもう2年前のこと。ゴボウ片手に馴染みのアイリッシュパブに寄る。一瞬、木刀を携へた素浪人である。

NHKの朝ドラ〈エール〉で古関裕而が話題となるが古関音楽についてさすが片山杜秀先生の論評が秀逸。

流行歌作家としての古関は、まだ多くの日本人が漫然と平時を生きられるつもりでいた日中戦争開始以前には日陰者だった。ところが、辛さや苦しさが時代の前に出、慰めや励ましなくして正気を保ちにくくなった、日中戦争から戦後の混乱期までは圧倒的に輝いた。曲の迫力や真摯さや痛切さが飛びぬけた。そして、戦後日本の復興と繁栄を世界にアピールする一種の儀式であった、56年前の東京五輪の入場行進曲をもって、アクチュアルな役割をほぼ終えた。
古関は万人がエールを必要とする時代の大家であった。兵士の心の強気と弱気に引き裂かれた真情を旋律に表し得た「露営の歌」や「暁に祈る」、圧倒的戦意高揚歌としての「比島決戦の歌」や「突撃喇叭鳴り渡る」、被爆国の哀歌としての「長崎の鐘」、焼け跡の希望の歌「とんがり帽子」等々。どれひとつ欠けても昭和の精神史は語れまい。
では、なぜ古関はそういう作曲ができたのか。例えば戦意高揚歌なら、当時の日本人なら誰しも知る軍隊ラッパの旋律のパターンを変容させる秘術を古関は心得ていたと愚考する。他にも幾つもの秘術を組み合わせ、近代日本人の集合的な音の記憶にしっかり触れる、古関ワールドが屹立したのではないか。そう私は推察しているのだが。
今年の五輪は延期され、五輪の比でないほどに励ましの歌が必要な非常時が、唐突にやってきた。どのみち2020年は古関を欲する年であったのか。