富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

Plagues and Peoples


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日本から見ると浦山しいくらゐの香港防疫状況。中国内地も感染状況隠定を理由に香港が内地からの商務客と跨境通学自動について検疫免除。 

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暖冬のあと4月は肌寒い日が続いたが明日からは暖かくなるやうで今日の和菓子は〈水芭蕉〉で一服。

仏弟子のごとく居ならび水芭蕉 - 狩行

昨日の〈牡丹〉でも気になつたところで緑葉を除いてみたが、どこか間抜け。抽象の六ッかしさで水芭蕉なら仏炎苞の形状をよく写すか換骨奪胎するか……とアタシにとつては菓子の師匠格の久ヶ原T君。無理やり水芭蕉のやうな形にしてみたが……。


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疫禍外出自粛でもつと早く読了するはずだつたWilliam H McNeill『疫病と世界史』読了。連日、夕方になるとハイボール飲み、そのあと風呂にゆっくりと浸かる日々続き風呂場で使へる防水型藍牙スピーカー入手。どうせ風呂場と音など期待してゐなかつたが音質の良さにあばらかべっそんである。 


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William H McNeill著『疫病と世界史』上巻 中公文庫 と同下巻 は大概は山本太郎『感染症と文明―共生への道』岩波新書 で読んでゐたが、やはり疫病を通しての文明論としての視野の広さ。

人類は(原訳は「が」)食物連鎖の一点に座を占める存在である以上、逃れられない様々な限界に規定されている。(略)技術と知識は、大部分の人類にとって病気との通常の出会いのありようを大きく変えたが、人類を目に見えぬミクロの寄生生物からの攻撃と、他の人類によるマクロ寄生に挟まれているという、大昔から続いている境遇から抜け出させてはくれなかった。(略)破壊的な過度のマクロ寄生の危険からの安全を確保してくれそうな体制は、持続的で安定した形のものとしてはまだこの世界に現れていないのだ。(略)現在のところ、また近い未来にあっても、人類は地球という惑星がいまだかつて経験したことのない巨大な生態的大変動のさなかにある。(略)ごく近い未来に予想されるものは、決して安定などではなく、ミクロ寄生とマクロ寄生の間に現存するバランスに生じる、一連の激しい変化と突発的な動揺に外ならない。(略)常に、感染症の果たす役割を無視することは決してできない。(略)寄生する形の生物の侵入に対して人類がきわめて脆弱な存在であるという事実は、覆い隠せるものではない。人類の出現以前から存在した感染症は人類と同じだけ生き続けるに違いない。(略、感染症は)人類の歴史の基本的なパラメーターであり、決定要因であり続けるであろう。

 日本のあまりにも稚拙な疫禍対応は目を覆ふばかり。日本の感染が本当にこの程度で済んでゐるのか疑問もある。だが、この『疫病と世界史』で指摘されてゐるのは軍事医学行政での明治の我が帝国軍の感染予防。それまで(そして何よりも太平洋戦争では完ぺきに皇軍はダメだつたのだが:富柏村註)戦争で軍事行動よりも病死者多数だつたのが日露戦争では病死は戦死の4分の1以下だつた事実。それは新兵に対する予防接種と種痘の徹底。日本は軍=教育制度なので軍の成果が国民教育に見事に反映され立派な兵隊さん育成と銃後の守りがために学校で保健の徹底(これは欧米にはない)。その結果、戦後の今も予防接種や種痘、欧米人の厭ふ胸部X線まで徹底され今日日の疫禍でもBCG種痘が新型ヰルスに効果あるのでは?といはれるほどだが日本と国民の防疫稚拙にも関はらず本当に感染が抑へられてゐるとすれば、これは本当にこの帝国軍以来の医学行政の成果なのかも知れない。

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