富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

陸羽茶室


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大公報は政府予算案で民生回復を評価し蘋果日報は9月立法会選挙前の「派糖」の予算政治化、財政赤字と実は新税検討を非難して「政治的予算案」は民望回復にならぬとばっさり。 

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それにしても約HK$1tb(14兆円)の備蓄。世界中の市役所でもっともカネをもつてゐる。これも中央政府の施政あつてのこと。北京に足を向けては眠れない。 

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この「ばらまき」予算のなかで支出増のなかで注目されるのが香港警察の軍事化。軍隊や公安部力組織持たぬなかで警察に治安の全てを賭ける。 


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湯河原からMさんご夫妻来港。明日から南洋のリゾートに休暇で香港はストップオーバー。旅慣れた方で疫禍も何のその。昼にM夫妻と家人と中環の陸羽茶室に飰す。さすがにこの食肆は閑古鳥といふことなし。やはり茶の一杯、点心の一つからして美味。

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前回は湯河原のご自宅でご馳走になつてしまつたので今日はこちらが、のつもりがアタシが手洗ひに立つたすきにさっとお勘定を済まされてしまつて恐縮。


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とんでもない「五輪効果」である。一昨日まであれだけ遅々とした防疫感覚であつた政府が今日は晋三が週明けからの全国休校「要請」。休校のまゝ今年度修了で春期休業に。本来「では学業は何うなるのか」「子どもを自宅待機させる場合の保護者のケアが必要」となり具体的にe-learningであるとか自宅待機できない子の一時預かりを何するかとか、そもそも大規模イベント中止から休校となれば香港のやうに公共施設の閉館、行政組織での公務員の自宅待機や民間企業へのテレワーク奨励といつた措置まで取られるべきだが、そこまでできないから親にしてみれば仕事はしなければならない、子どもは家にゐる……で大変になる。そして、この措置で興味深いのが「では卒業式は?」である。「卒業式ができない」ことへの悲しみ。卒業式なんて「疫禍が治まつたら適当な時期にやればいゝぢゃない」が日本を除く世界の一般的通年だが3月に卒業式をして涙、涙で学校生活の終焉と別れを泣いて惜しむ、もうこの学窓に還ることはできない……であるから適当な時期に順延はダメ。この最高潮で催事するから感極まる。そして4月になれば満開の桜の下、3月の別れの悲しみなど微塵もなく新しい学舎や仕事先での一歩を踏み出す喜びに感無量……。この涙の卒業式が日本独特で明治20年代といふ日本にとつてはエポックメーキング的な近代の「ヘンな日本」黎明期に涙の卒業式が日本中に何う感染していつたのか……これは有本真紀『卒業式の歴史学』講談社選書メチエ といふ書籍に実に見事に分析されてゐる。まぁ日本人の大好きな共同幻想なのだが、もう100年以上それに感染麻痺してゐるので「卒業式のない門出」なんて想像もできない。それでも感染不安。そこで大垣「卒業式は卒業生と教職員で」|NHK で親や在校生には映像をネット中継なんて苦肉の策が出てくるのだが(来賓は招かない、校歌も歌わない……で国歌斉唱だけあつたら最高なのだが)親にしてみれば「我が子の門出を祝つてやれないなんて」。このやうな「悲しみ」は繰り返すが「世界中で日本だけ」である。教育を受けて修了した喜びより何故に悲しみを惜しむのか。それは「もう会へないかもしれない」といふ不安であり一番顕著なのが軍隊である。このあといざ戦さにゆけばお国のためにで「海行かば水漬く屍」だから「貴様と俺とは同期の桜」で別れを今惜しんでおかねければならない。社会学や心理学よりもはや精神衛生医学上で分析するべきメンタリティーかもしれない。本当に卒業式が好き。入学式といふのはあの卒業の感動を得るための始点として位置付けられるかも。そのやうななか、名古屋市も昨日は確か「卒業生と教員だけ」で卒業式開催としてゐた気がするが我らが河ちゃんが名古屋市、小中高の卒業式中止へ 河村市長が表明:朝日新聞 とドラスティックな判断。これができるのは日本的発想ではかなりの異端。以下、今日の朝日新聞津田大介〈論壇時評〉より。

新型コロナウイルスの猛威が止まらない。感染拡大がもたらす社会不安を受け、感染症の専門家や各国政府は、このウイルスの感染者のほとんどが無症状・軽症で、感染力はインフルエンザと同等、致死率はSARSよりも低いといった事実を示して市民に冷静な対処を呼びかけているが、ネット上には毎日のように不安を煽る情報や、医学的に根拠のない対処法、信頼性の薄い陰謀論が流れている。世界保健機関(WHO)はこの状況を「インフォデミック」と名付け、信頼できる情報源や情報を見つけることが困難になっていると警告した。
なぜ人々は不安に駆られ、インフォデミックを起こすのか。内山節は、人々がこのウイルスのニュースに触れた際の反応を「とりあえず怖いと感じるのは感情による判断」「さまざまな情報を集めてみると、それほどあわてる必要はないのかもしれないと思いはじめるのは、知性による判断」と二つに切りわけ、これまで感情と知性の間でバランスを取りながら判断することで成立してきた近代社会の前提や約束事がネットの普及によって崩されつつあることを指摘した〈内山節「感情の危険な独り歩き」中日新聞東京新聞2月9日付朝刊〉。
ソーシャルメディアは、現代人にとって貴重な情報入手手段であると同時に、人々の「共感」が数値で可視化される特徴を持つ。いわば「知性」と「感情」両方を兼ね備えた媒体であるが、近年は運営業者が後者の特徴を過剰化する方向に舵を切り、感情が知性を優越する状況が日常化した。トランプ米大統領やロシア、あるいはアジア各国の指導者のように後者の特徴を悪用し、民主主義を破壊する為政者も後を絶たない。

▼子どもの発想力は本当にすばらしい。

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▼そして春の銀座松屋ムーミン展に合はせ「とらや」のムーミンとコラボの羊羹。これも何とも見事な発想。そして美しい意匠。さすが、とらや。

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