事もあらうに教育局局长・杨润雄が中共の上观新闻*1なるメディアのインタビューで抗議方で暴警に逮捕された教員を、その学校の校長が擁護した場合校長も処分と宣ふ。香港のメディアにではなく中共メディアにこれを語るあざとさ。
暴警の公共关系科高级警司・江永祥は(Cable TVのインタビューで)721の元朗白衣人襲擊市民事件を「有人帶一班示威者入元朗而牽引」と指摘。当日の中環から西環・中聯辦への抗議活動のあと或る特定の個人が抗議者を元朗に引率したことが、この騒動の発端としたのだ。この特定の人物とは元朗で本人も白衣暴徒に襲撃され負傷した立法会議員・林卓廷(民主党)を指すのは明らか。江永祥は今日の定例記者会見で「我係根據不同傳媒嘅報道同畫面而得出觀察,並不代表警方對事件嘅結論」(これは当日の異なるメディアの報道から自分が得た所感であり警察のこの事件に関する結論ではない)として上司も、この事件では白衣37名を逮捕して内7名はすでに起訴され捜査は順当に進行中と江永祥を庇ふのは、いつもの暴警の逃げ口上。呆れるばかりだが江永祥など8月にこの定例記者会見始まつた当時は記者の質問にいつも「あー、うー」で真面に回答もできなかつたのが4ヶ月でこれだけ厚かましく恥じることもなく言ひたい放題なのだから暴警がどれだけ傲慢になつたかの証左。
葉劉:暫緩修例感「被跣」 有行會成員曾提出總辭 林鄭指問責未輪到行會 | 立場新聞
新民党・叶刘“ゲシュタボ”淑仪が反修例風暴での失態も恥じることなく述べるのは逃亡犯条例改正を反修例の声高まるなかで政府が立法化「暫緩」とする前に自分は政府に対して譲歩促したが政府はそれに応じず後になつて暫緩としたことで「咁我知我『被跣*2』了」(そこで自分はぎゃふんといはされた)と今になつて釈明。当時、618の200万人デモのあと行政会議の席上でも何人かの成員が林郑に行政会は修例失敗に「集団責任で総辞職すべき、それにより林鄭の立場が少しでも守られるなら」と促したが林郑は行政会はあくまで行政長官の輔弼組織であり抗議の世論は(行政長官含む)主要官員の進退にかかつてをり(行政会負責は)世論の「消気」にはならぬと否定。叶刘曰く「特首都未辭,唔會只畀行會成員辭職」つまり「林鄭が辞任しなければ輔弼の行政会委員も辞職しても意味なし」と叶刘の林郑に関する嫌味も叶刘にしてみれば「自分が行政長官になつてゐれば」といふ怨念があるから、この上なし。
林郑のおかげで本当に台無しなまゝ2019年が終はらうとしてゐる。回顧映像を見るにつけ林郑月娥といふ湾仔の基層階級出の港大才媛が香港政府でソーシャルワーカーしてゐれば良かつたのが相次ぐ高層官員失墜のなか間違つて出世してしまひ「頭は良いのだけど、どれだけバカか」披露の結果この香港史上例のない大恐慌を引導したとは。そして林郑を欽定で擁立し擁護するのが中共の中央政府なのである。
香港暴警の自己都合による回顧映像も興味深い。当然だが抗議者をボコボコにしたり胡椒噴霧放題や市民に銃を向けた〈人民英雄〉や路上占拠めがけ白バイでの暴走や2度の市民銃撃シーンとかは出てこない。都合の良いところだけ集めて、それも11月にトップに就任したばかりの鄧炳強のPRビデオでしかない。
香港警察が香港暴警と化した612の「暴動鎮圧」のあと弱腰で記者会見してしまつた“Sorry, I can't find the right word”の盧偉聰(警察トップ前任)も今になつて思へば、まだ警察の良心だつたのか。
結局のところ逃亡犯条例修例での誤謬の連鎖は〈五大訴求 欠一不可〉となる。実際に五大訴求を欠一不可で通すことは困難なのだが、もはや引くに引けぬ絶対要求であり市役所も中央政府の手前、絶対に一つでも譲歩できぬ停頓の極み。これで年を越し元旦も大型デモで明ける。
香港の世相がそれだけ緊迫して年の瀬を迎へるなか在港の解放軍兵士による間抜けなダンス映像が聖誕祭の休日に微博に流れた。解放軍駐港部隊微博發片 聖誕日維港起舞 (立場新聞) 习近平政権で聖誕祭自粛のなか何を考へてゐるのか。「おちょくってゐる」ととられると思はないものか……否、実際におちょくってゐるのだらう。それにしても香港に駐軍してゐても暴動鎮圧に加担もできず市街に遊ぶことも禁じられ、こんなことをして暇潰ししかやることもないか。
農暦一二月初五。早晩に旺角へ。夏から催涙弾放題で煙立ち込め涙したこの地もまるで何事もなかつたかのやうに年末の賑はひ。先日、明報で茅盾任教學校舊址 環團倡保旺角唐樓 -明報20191224 といふ記事を読み、茅盾(1896〜1981)雁冰先生が1930年代末に日本軍による上海陥落のあと香港に旅居で一時、教鞭をとつた学舎の建物が現存といふ記事を読み其処を訪れてみる。
山東街53至55號唐樓前身為中華兒童書院及中華業餘學校,文學家茅盾曾於後者任教。土地查冊顯示,上述山東街唐樓現時由私人持有,1930年代已存在,由4個相連單數街號組成,分別為53、55、57及59號,教育家吳涵真於1934年成立中華兒童學院,1939年有470多名學生,是當時區內唯一學校。1938年,被毛澤東稱為「偉大的人民教育家」的陶行知倡議借用該校建立夜校,亦即中華業餘學校,讓成人持續進修,茅盾曾在該校教文學。李少文說,當時山東街53及55號樓宇平面圖和現時幾乎一樣,57及59號後來被拆卸。山東街53及55號現仍有店舖營業。
当時すでに存在してゐたといふのだから築90年?くらゐか。今では旺角の繁華街ど真ん中でファザードは相次ぐ商業テナントの入居でぐちゃ/\が裏に廻つてみると確かに味わいある建物。
旺角の街場を漫ろ歩き。砵蘭街といへば風俗業多く娼婦が路上に企ち怪しいところだが、その中に「郵鈔秀古坊」なる商場あり建物の2フロアが古切手、古銭やクラシックカメラなど扱ふ店舗密集なのには驚いた。すでに夜で多くが閉業なのは残念で近いうち再訪。その向かひが〈桔梗〉なる飲食店で夕食には早い時間から賑はふのは、この見世が「黄色」ゆゑ。聖誕祭で暴警による抗議鎮圧でこの飲食店に暴警押し入り逃げそこねた青年が楼上のバルコニーより横の公園に墜落。
香港政府公務員の知己と飲食の約あり。広東道の恆達油渣麵に向かふ途中、小さな中医診療所の入口に仙人のやうな御仁佇むのを見る。30年来の知己L師である。元々、心理学選考で日本に留学し新潟大学で修士となつたが太極拳や気功に進み香港でもその業界では著名な仙人。路上で旧交を温める。恆達油渣麵で美味いもの頬張り大角咀まで歩きOakey Dokeyでワインを飲む。
佐敦から旺角を経て太子にかけてはMTR施設への落書き放題だが旺角で「大麻合法化」といふ、これは初見。大麻くらゐ許可したほうが世の中、平和である。確かに。
▼何うでもいゝバカネタだがTwitterで前・目黒区議会議員(自民党)のオバサンが鉄道駅の表示がハングルで「ここはどこの国だ」と怒つてゐたのを見かける。これも屈辱的らしい。かうした外国語表記を見ると先ず読む練習と思ふアタシは경로(京急)の우라가행(浦賀行き)までは読めたが겐릿쓰다이가쿠で「何だこりゃ?」だつたが一字ずつ読めば「ケンリツダイガク」である。それなら音訳より현립대학(県立大学)と意訳してあげる方が親切だらう。
それよりこれ「駅の表示。電車のホーム」とこの自民党区議会議員はしてゐるが誤解で、これは車内の電光表示。しかも画面は2つあり次々と日英中韓の4語表示が標準化されてゐるもの。誤解した上で貧困なナショナリズムで国威発揚(できないのだが)が怖い。
日本もいろいろあつたが〈晋三横暴〉に尽きる。
▼朝日新聞の社説「有権者がみくびられている」はその通りだが晋三ごときにみくびられてゐるのは我々国民の不甲斐なさ。それでも晋三批判すると「さういつたつて、それぢゃ他に何があるといふのですか」と大納会29年ぶりに高値で満足してしまふ「理解力のある」バカ多数。