富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農暦五月初八

佛誕。母の日。郷里の母には今年はこれを贈る。

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雲一つなき快晴。家人の話ではMTRが先月だつたか「運行システム故障で市民に大きな迷惑かけたお詫び」で昨日から明日(佛誕代休)までの3日間、全線で運賃大人半額、子どもと老人は何処まで乗つてもHK$1(14円)なのだといふ。折角だから何処か行かうかとなつたがこんな好天のなかMTRで地下をモグラのやうに抜けるのも。陋宅から一先ず湾仔まではMTRに乗り湾仔から630X系統の路線バスで荃湾へ。嬉しいほどの青空。気温は摂氏30度くらゐだが風あり。日差しさけつ荃湾市街の路地を抜け福來邨の公共団地。

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1963年から64年にかけて建造された香港十大公共団地の一つ。
https://zh.wikipedia.org/wiki/福來邨
香港島: 北角邨 西環邨 華富邨
九龍: 蘇屋邨 彩虹邨 馬頭圍邨 和樂邨(観塘) 坪石邨 愛民邨
新界: 福來邨
当時、九龍の開発が主で新界での団地建設はこの荃湾の福來邨のみ。今では随分と内陸だが当時は此処も海の埋立地だつたといふのだから。天気いゝので各戸とも洗濯物がまぁ澤山干されてゐて彩り鮮やか。

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この福來邨の西には繊維紡績の工業団地あり。香港には国共内戦中共成立で上海から紡績業が続々と移転。1950年代にこの埋立てで小さな客家集落であつた荃湾に広大な土地が出来、そこに紡績など製造業集まり南豐の史料によれば1961年には荃湾にはすでに二百超へる工場あり(これは新界の工場数の7割)香港全体の紡績就業人口の6割が荃湾で働いてゐたといふ。ならば上述の十大公共団地のうち新界で一つだけが荃湾に出来たことも頷けるといふもの(新界で最も大きなベッドタウンは沙田地区だが、この開発は1970年代に入つてから)。香港の紡績業のピークは1980年代前半で、荃湾の南豐紗廠だけでも6つの工場に3千名が就労。1984年に香港変換の中英合意があり中国の工業化、東南アジア各国の経済勃興があり香港の紡績業は永遠の下火となる。その南豐紗廠が昨年、再開発ながら半世紀前の工場ビル建物そのまゝ残しThe Millsといふ商業施設としてリニューアル

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南豐の紡績の歴史の記憶で展示スペース、手芸スペースや綿衣類から上質の綿を再利用してのリサイクル衣料への取り組み等、この施設にいろいろあり。

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ほんの30分ほど見学のつもりが展示見たりカフェで地ビール飲んだりしてゐたら1時間半ほどになる。

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福來邨の方に戻ると香車街街市の昔ながらの熱食中心あり。楼上の多くの飲食店は昼に開けもせず真っ暗ななか通路の奥にぼんやりと光あり通路に客も並んでゐるので何かと思へば荃湾で馳名の老闆娘雲南米線が此処。折角なので米線を飰す。

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スープは蒙古味で。確かに美味い。午後2時だといふのに未だ満席。厳しい日差しのなか日傘に隠れ漫ろ歩き、とんでもない人混みの荃湾市街のなか久しぶりに民豐粉麵行へ。

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10分ほど並び水餃子箱詰めで贖ふ。母の日だが民豐の女将、蒋太は休む暇もなく肆を取り仕切り多忙の極み。笑顔がステキ。

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市街を抜け楊屋道から630系統の湾仔行き路線バスに乗る。630Xは香港島から荃湾市街に直行だが630は荃湾から大窩口、葵涌、葵興、葵芳まで山上の郊外団地抜けMTR荃湾線が地上に出るところを眺めながらのコースで鉄道・バス好きには垂涎のルートか。中環でバス下車。生餃子運んでゐるので早く陋宅に戻る家人と別れ中環の旧碼頭にあるHKJCの場外馬券場へ。銀行口座との送金リンクの設定し直す。かつては香港での有数の賑やかな場外馬券場だつたがスターフェリーも波止場遠くなり此処は今日はMark Sixの籤を買ふフィリピン人家政婦ばかり。帰宅して音楽かけたが無性にEric Claptonが聴きたくなる。

昨日、BSプレミアムで放映された番組をストリーミングで見る。

60分の番組だつたがバカリズム司会で芸能界の「悪女」らしいオバサンタレント集めた伊藤野枝に関する下らないクイズ形式の部分は飛ばしたらドキュメンタリーの部分は40分ほど。野枝が大逆事件で甘粕憲兵らに殺されるまでの28年の生涯はある程度知つてはゐるが野枝が大杉栄の逮捕不当として当時の内務大臣・後藤新平に当てといふ手紙の原本が岩手水沢の記念館に保存されてをり、それは初めて内容知つたが、まぁ野枝らしい筆致で後藤伯爵にも罵詈雑言はさすが。この番組、タイトルにこそ「瀬戸内寂聴プレゼンツ」とあるが寂聴尼はあの調子で軽やかに「私も夫と子どもを捨てゝ同じようなことをしたから」と野枝の大胆な生きふりをさらりと語つて見せるが、寂聴の野枝主人公にした著述『美は乱調にあり』を漫画にした柴門ふみがまるで寂聴の見方を冷静に補ふやうに伊藤野枝の思考行動を分析してゐたところが白眉。クイズでわい/\騒ぎつつ伊藤野枝ばかりか『青鞜』が平塚らいてうの私生活、野枝の参入で廃刊までの動きまできちんと描いてゐた。

道徳というのはね、そのときどきの権力者に最も都合よく作られています。(瀬戸内寂聴

寂聴尼が神近市子(大杉栄の愛人だつたが新聞記者としての収入から大杉を経済的に支へてゐたにも関わらず大杉の野枝との横恋慕に怒り二人が逗留してゐた大杉を刺したのが日影茶屋事件、市子は戦後左派社会党籍で衆院議員5期)から直接聞いた話として神近は本当にステキな女性だつたけれど「伊藤野枝のことは最期まで許してゐなかつた」と。本当に「臭くて、臭くて」。野枝の野放図な暮らしぶりで女の嗜みで清潔にして白粉なんて当然に厭ふのが野枝だらうが、ふと「大杉栄なら、さういふ汗臭い体臭も好きなのでは?」と余計なことを思ふ。べとべとと舐めてゐさう。社会主義無政府主義での革命、天皇制否定といふ我が国の畏れ多き國體の解体狙ふ大杉栄に対して伊藤野枝が大杉と一緒に殺害されたほどの思想的危険性は何なのか?と思ふが大杉が毀すのが國體のオモテとすれば野枝は家の存続と子ども産むための奴隷としての女性の解放と家制度解体といふ大杉以上に國體の内側の極端な革命唱へたわけで大杉の主張は権力構造の変換でこそあれフォーメーションとしては何かしらが残るのが野枝の主張はより厄介なものだつたのではないか?と改めて思ふ。