富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農暦四月初二

農暦四月初二。曇。立夏といふがこゝ数日涼しい日続く。昏刻に小雨のなか北角陋巷に寄る。英皇道の琴行街角に、もう二十年は前からある新聞スタンドの主人は旧知で新聞が数碼化される前は毎朝、信報、蘋果にSCMP買つてゐたのでオマケでくれる紙巾(ポケットティッシュ)もオマケ用の低級品ではなく毎日一個、上質のTempoをくれてゐた。今では通りがかりに馬簿の『大勝』買ふくらゐだが、この主人は熟客には割引で新聞雑誌を売る。定価HK$30のそれにHK$30丁度渡すとHK$2硬貨を返さうとする。朝刊を午後も半ば過ぎの売れ残りならわかるが水曜日の競馬予想紙を月曜の発売日から割引とは。それでなくとも新聞スタンドは新聞は読まれない、喫煙者は減る一方で商売難儀のところ。HK$2受け取らぬと恐縮した笑顔で「贏多的!」と。常飲のジンと果物屋でドリアン(品種は金枕)贖ひ帰宅。今年2度目のドリアンは今日は金枕頭(Mon Tong)といふ品種で香港で最も出回つてゐるタイ産。先日のは青尼(Chanee)といふ同じくタイ産。これからマレーシア産の猫山王(Musang King)やD24に上手く出会へるかしら。常温で新鮮なのを頬張るのが格別だが傷みやすいので冷蔵庫に入れるときは強烈な芳香ゆゑパックした上に密封式タッパー「ど」出動となる。

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陳浩基の『13・67』の続き読む。2編目の『囚徒道義』は2003年、九龍に勢力はる2大黒社会の抗争と芸能人アイドル少女殺害の話。当時、暴力団背景にした大手芸能プロダクションに醜聞もあり2003年の春で広東省から香港に拡散した謎の感染症SARS)もあり。さうしたエポックをうまく一つの小説に纏めると陳浩基に関心しつゝ2大暴力団の勢力壊滅のために警察が発端となる事件を仕組むといふのは何うなのかしら。続く3編目『最長的一日』は1997年の6月6日。香港が英国から中国に返還されるまで1ヶ月を切り全編を通しての主人公・關振鐸(高級警司)は55歳で皇家香港警察退職前の最後の日。当時、旺角の繁華街でビルの屋上から腐食性液体が撒かれる事件が話題になつたが、この日、それと同じ事件が中環の市場で起き、朝には危険物運搬のトラックが横転し道路混乱、さらに服役中の黒社会のドン・石本添が腹痛訴へ通院のため移送されたQueen Mary Hospitalから逃走し逃走中に警察と銃撃戦となり……と香港島西は朝から警察は大混乱となる。香港警察一の推理捜査誇る關振鐸・總部刑事情報科B組組長が腐食性液体散布の現場から、この捜査に乗り出すが……といふ、これもよく練られた筋書き。この事件では前2編に見られたやうな警察の無理やりな事件演出こそないが偶然に偶然が、がよくもかう繋がるものだ、と、まぁそれなしには推理小説など成り立たないのだが。この事件を見事に解決した關振鐸は香港警察退職するものゝ、その手腕かはれ約聘顧問といふ形で1997年の香港返還後も香港警察の捜査サポートすることとなり前2編に繋がる。夜になり雷雨。

(1条 憲法を考える:6)加害の歴史、向き合うのは誰:朝日新聞デジタル「贖罪」委ねた今の政治

今月3日の憲法記念日明治大学のホールが約1200人の市民で埋まった。昭和天皇を題材にした連載小説を執筆中の作家高橋源一郎さん(68)が講演し、平成天皇による「慰霊の旅」の理由に言及した。

戦争責任を問われないまま、昭和天皇がやり残したことの贖罪の旅をやってきたのではないか」

戦後70年の節目を迎えた2015年8月15日の全国戦没者追悼式平成天皇は初めて「深い反省」に言及した。慰霊の旅に深い反省。その言動は、政治的権能を持たない象徴天皇としてのぎりぎりのラインのようにみえる。そこから浮かび上がるのは、過去への真摯な反省の言葉を持ち得ていない最近の政治の姿だ。安倍晋三首相は2013年以降の戦没者追悼式で、1993年から歴代の首相が触れてきたアジア諸国への加害責任や「深い反省」に言及していない。

1条は、象徴天皇とは何かを語らない。平成天皇は「祈る」姿を通じて、自ら象徴の姿を示してきた。

だが、1条は国民主権も定めている。「祈る天皇」の退位とともに列島各地に「ありがとう平成」という感謝の言葉が広がった。政治が本来やるべき贖罪を天皇に委ね、安心して過去を忘れたかのようで、国民主権をどう機能させるかという緊張感はうかがえない。

過去から学ぶことの大切さを、高橋さんは講演でこう表現した。「令和が始まったというが、平成が終わったわけではない。昭和も終わってはいない」