富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三島由紀夫『豊饒の海』の結末は支離滅裂か

農暦十二月廿一日。晴。土曜日で夕方まで在宅。読書。

魯迅と紹興酒 (東方選書)

魯迅と紹興酒 (東方選書)

 

タイトルは『魯迅紹興酒』である。酒徒でもある藤田省三先生の著。魯迅が好きで紹興酒も好きな私はまだ紹興訪れたことがなく楽しみにこの本を開いたのだが「魯迅紹興酒」の具体的な綴りは全270頁のうち実に僅か10頁(笑)。副題が「お酒で読み解く現代中国文化史」だが、この副題こそ本題で前編に渡り北京、上海、紹興からチベット!に香港、台湾から欧米まで藤田先生と中国文学者たちとの文学と酒に纏はる回顧談。それはそれで面白い。その中でもやはり読ませるのは著者が1979年に留学した北京と白酒にまつはる章。上海は啤酒を語るが観光案内の域。作家・莫言と彼の地元・山東省の白酒の話。香港は蘭桂坊や湾仔のバー街、元朗の大榮華酒楼の話で詩人・也斯が登場、台湾は清酒のことだが、これもお触り程度……といふか酒文化は浅い。シンガポールはタイガービールくらゐしか酒のネタもない。プラハでの中国現代詩の朗読会で詩人・北島に対して藤田先生が厳しいのが印象的。
早晩に家人とFCCへ夕食に。

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食前にフィリピン産サンミゲルの小瓶啤酒とポテチ。これが美味しい。食事はビフテキと鴨の腿肉のコンフィをシェア。アタシらにしたら珍しく肉々しい。ビフテキは余程美味しい肉じゃないときはミディアムくらいに焼いたほうが乙。コンフィはいくらコンフィとはいへ塩辛い。白飯がほしくなる。食後のデザートはチョコレートのケーキ。

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食事の酒はワインをグラスに1杯だつたので帰宅して読書。大澤真幸先生の三島由紀夫論。

三島由紀夫 ふたつの謎 (集英社新書)

三島由紀夫 ふたつの謎 (集英社新書)

 

読まずにはゐられない。だが端書きで書かれてゐることは「二つの謎」とは一つは三島由紀夫市ケ谷自衛隊総部での、あの割腹自殺といふ「愚行」で、もう日一つは『豊饒の海』で「結末はなぜ支離滅裂ともいうべきものになったのか?」と。前者を愚行とするのはまぁわかるが後者の小説で「あの結末こそ素晴らしい」と思つてきたアタシには、それがなぜ「支離滅裂」とされるのかに寧ろ驚いた。

この結末を認めてしまえば、全四巻からなる『豊饒の海』のそこまでの展開のすべてが遡及的に無意味なものとして否定されてしまう。この小説は何のために書かれていたのか、さっぱりわからなくなってしまうのだ。結末は、この小説の存在理由それ自体を自己否定している。

第4巻の結末で老いた(全編の語り手たる)本多が月修寺の門跡となつてゐる聡子に会ひに行くシーン。そこで本多が語る昔の清顕と聡子のことに対して聡子は「えろう面白いお話やすけど松枝さんという方は、存じませんな。その松枝さんのお相手のお方さんは、何やらお人違いでつしゃろ」と。アタシはこの聡子の言葉を聞くために、昔この『豊饒の海』を読んだやうなもので最後の聡子の「それも心々ですさかい」に痺れた。この結末を支離滅裂といはれてしまふとは。三島の創作ノートによると由紀夫さんが当初想定した結末は本多の死期近いときに、やつと本当の清顕の生まれ変はりの18歳の少年現れ「突然、天使の如く、永遠の青春に輝けり」だつたといふ。これで本多の長年の探訪も成就する……こんなハッピーエンドなんて何も面白くない。これだつたらアタシは全4巻読んだことが無意味と思へる程の結末。大澤真幸は、なぜ結末がかうなつたのか、これが完成して原稿に「了」とされた日に三島由紀夫があんな自衛隊での行動に出たのか、を問ふ。その分析はとても面白い。『サド侯爵夫人』の解釈も、サド公爵が獄中で書いた小説「ジュスティーヌ」を読んだルネ夫人がサド公爵にとつて自分(ルネ)の存在がジュスティーヌといふ理想の女性像あつてのものでルネがルネ自身として女として愛されてゐるのではないと分かり刑期終へたサド公爵に会はうとしない……。『花ざかりの森』に始まり『仮面の告白』『金閣寺』『禁色』から『午後の漏洩』そして『豊饒の海』まで他にもこの本で取り上げられる三島由紀夫の小説を今更ながらアタシも(短編を除けば)全て読んでゐたことに改めて気付く。引用される高橋睦郎の『在りし、在らまほしかりし三島由紀夫』も去年読んでゐた。大澤真幸の論究はかなり徹底的。実に面白くはある。『花ざかりの森』これはアタシは16歳のときに高校で英文法担当だつたK先生が授業中に、ふと「三島由紀夫はあなたたちと同じ歳に書いてゐたのですからね、花ざかりの森を」と言はれ、それを早速、新潮文庫で読み、『潮騒』のイメージくらゐしかなかつた三島由紀夫に畏れを抱いたアタシだつたが、この物語の最後

まろうどはふとふりむいて、風にゆれさわぐ樫の高みが、さあーっと退いてゆく際に、眩ゆくのぞかれる真っ白な空をながめた、なぜともしれぬいらだたしい不安に胸がせまって。「死」にとなりあわせのようにまろうどは感じたかもしれない、生(いのち)がきわまって独楽の澄むような静謐、いわば死に似た静謐ととなりあわせに。……

が『豊饒の海』の最後に映えてゐることに今日まで気付かず。それにしても、である。結局この『豊饒の海』の最後がなぜ、あんなに(支離滅裂に)になつたか、といふ論証をするためのテキスト解読なので、それ自体は面白いが、あの結末を不自然と思はないアタシには食傷気味でもあり。で『豊饒の海』の第4巻である。本多老人によつて発見され養子となつた透君に本多に近い女性・慶子が「なぜ本多があなたを養子にまでしたか」の清顕から始まる物語の秘密を暴露する少し前にある醜聞……本多老人が夜、神宮外苑つまり当時の、具体的には権田原だが、そこで衆道の好事家たちの夜な夜なの性行為を覗き見し、偶然の傷害事件に遭遇した本多が警察に容疑者として引っぱられ週刊誌に「元裁判官覗き屋氏の御難」と嗤はれた、このエピソードがなぜ、この物語に必要なのか?とまで探る。大澤真幸は、これを人間の性行為が成立するためには外から眺める第三者の眼差しが必要で、本人たちは、殊に許される恋なら尚更、自分たちを覗き見る第三者の存在の可能性が想定される……とフーコーのやうな話まで展開されてゐるが要するに、この物語の最後を迎へる一つ前で社会的地位のある本多をこゝまで堕落させないといけなかつたのか。このへんで、この三島由紀夫の「二つの謎」の分析もやつと結末を迎へるのだがアタシにとつては第1巻(春の雪)の清顕と聡子のヘテロの青春の純愛と悲劇なら第2巻(奔馬)はまさに三島由紀夫が好きさうな昭和の神風連たらんと行動をおこす飯沼勲への憧れでホモ的、第3巻(暁の寺)は今度はタイの王女様と上述の慶子がレズで、その性行為を覗く本多なのだから、もう第3巻まででヘテロ、レズとホモといふ世界を垣間見てきた本多老人には、もはや何も残つてゐないのが自然と思へた。そこで第4巻(天人五衰)で晩節を汚す権田原でのホモ現場の覗きなのだから、もう何もない(……まさか筒井康隆的になら次に獣姦の覗きとなると、もはや止めどない)。さうなると、あの月修寺門跡たる聡子に全否定されることは寧ろ自然なこと。それが、もし、この本多老人の前に本当に清顕の生まれ代はりなど現れるハッピーエンドのどこが面白いのかしら。三島由紀夫の死に向かふ物語は題こそ『豊饒の海』であるが三島が主題とした「海」は本多(三島)の生涯が最後に否定されたやうに「豊饒」どころか枯渇した海となる。これは三島が後年、拘つた「天皇」についても同じことで天皇に無理なほど価値を見いださうとした三島だが「天皇」はそれに応へぬばかりで、もし虚無だつたとしたら。小説の世界では、それを「虚無」と出来たが実際の物象の世界にあつては、その否定を認めれば、もはや死しかなく、それは選擇できぬ最期。そこであの昭和45年11月25日の「愚かな」行動に。……とアタシはまとめてしまふ。だが大澤真幸先生は精緻な論証を続けながら最後が、この本ではあまりはっきりとしてゐない。

三島は、究極の「不毛の海」を見たがゆえに、それに抗するべき必死の政治行動をとった。しかし原点とすべき真実は、本ものの〈豊饒の海〉だったとしたらどうであろうか。われわれは、そこから逃げる必要はない。これを積極的に受け入れたとき、そこからどのような政治行動を引き起こすことができるだろうか、これに答えることは、もはや三島由紀夫論の範囲を超えた課題である。

と結ぶ。清顕は死期の迫つた本多の前には(当初の創作ノートの想定のやうには)現れない=豊饒の海にはならない……のだから、そこで「もし」の仮定は要らないと自然に思ふのだが。もし海が本当に豊饒で清顕が本多老人の前に現れてゐたら、そこで三島由紀夫自衛隊に突入してゐたら、そこで自衛隊の隊員諸君が三島に賛同し挙兵し国会議事堂占拠し皇居に向かつてゐたら……全くあり得ない話だが、もはや悲劇か喜劇か。……いろ/\書いてしまつたが、それでも今まで読んだ三島論のなかではさすが大澤先生、一番興味深く読めたものであつた。