富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

(今更ですが)中国化する日本(與那覇潤)

農暦十二月二十日。晴。ストリーミングでテレ東の先週土曜の「アド街ック天国」見たら東京赤坂の特集。赤坂といへばアタシは今なら蕎麦の砂場(ここも番組で黒塗りの高級車やハイヤーが門前に並ぶ蕎麦やとして「あられそば」が紹介されてゐた)を挙げるが回顧なら旧TBS会館地下のトップスだらう。こゝも番組でかつての写真で紹介されてゐたが赤坂は昭和の時分に築地の料亭で料理長引退した大伯父がカウンター割烹を当時の日商岩井の裏で始め、よく訪れた時、中学生だつたアタシはTBS会館地下かブクロの西武百貨店の出店でしか食べられなかつた「本格的」カリ一、そして持ち帰りの一棹のチーズかチョコレートのケーキ。当時はあれが美味しく感じられた。今なら赤坂でケーキなら「しろたへ」かしら(ここは番組で紀介なし)。久が原T君によれば、こゝも何だかでブームになつたかケーキ買ふのに行列なんだとか。

著者が極度の鬱病にかゝり大学の職を辞し1年かかつたが快方に向かひ『知性は死なないー平成の鬱をこえて』(文藝春秋)を上梓……といふ記事を昨年末に見て與那覇潤といへば随分と前に『中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』で話題となり「読んだよな」と思つたがアタシも衰老か内容も朧げ。書架を漁つたら未読と気付く。慌てゝ読み始め今日、読了。近代化を中国ではすでに宋の時代にできてゐた制度として、それは何度か日本でも平家や後醍醐天皇足利義満、秀吉でも取り入れられやうとしたが源氏や最終的には徳川幕府に遮られ、それがやつと明治の近代化から中国で宋の時代に完成されてゐた近代のシステムの模倣となるかと思はれたが明治維新までで、著者は明治の立憲制も、戦前の無産政党人気も二二六事件のクーデターも、そして戦後の片山・社会党政権から角栄、村山内閣、民主党政権までを江戸制への回帰と見立てる。それに対して中曽根、細川から小泉までが(好き嫌ひは別として)宋朝体の「中国化」した体制とする。いずれにせよ江戸回帰はダメで著者は日本は「中国化」していく。まぁ面白いといへば面白いが大雑把といへば大雑把な発想。それも著者の独断ではなく今では(2011年だが)歴史学では常識になつてゐる、あれこれがそれを語つてゐる、と歴史「学」浅学のアタシにはわからないが、かういふ考へが常識ですよ、と。そのへんの不思議さについては、このはてな日記でこちら(『中国化する日本』與那覇潤 を読んであれこれ - コバヤシユウスケの教養帳)がかなり突っ込んで書いてゐるので、それをご覧あれ。ネット書評で見るかぎりかなり反論も目立つが少なくとも、これの上梓が2011年といふ中国が日本のGDPを抜き311の震災と核禍あり民主党政権にダメの烙印が押された年で、このあと晋三政権のやりくちを見ると、私見だが、これは中国化でも江戸回帰でもないヌエのやうなもの。まさに方向性は間違ひで出鱈目で日本のシステムはまさに澆季末世の如し。この與那覇潤が、この「晋三の時代」を、どう評してみせるのか、は期待してよいかしら。

私たちが生きていかなければならないのは、おそらくは1000年以上前に「歴史の終わり」を迎えて変化の止まってしまった中国のような社会であり、そしてそのような社会にいかなる正負の側面があり、なにをすることが可能でなにをやつたら危険なのかを過去の事例から学ぶことこそ、いま歴史というものに求められている使命と確信します。


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