富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2018-05-24

農暦四月初十。気温高いが今日は雲が多いだけまだ楽。来月がお誕生月でAmexから
Red - Kilikanoon Miracle Hill Shiraz 2014
White- Villa Maria Single Vineyard Taylor Pass, Sauv Bl, NZ 2017
Champagne - Henriot
のいずれか1本贈呈とご案内が来たので香檳酒でアンリオをいたゞいた。晩にへとへとになり帰宅して睡眠不足の上に食欲もなく家人も気にして麻婆茄子にしてくれた。五月場所で全勝の栃ノ心が一敗の白鵬と熱戦の末、横綱を破る。
▼日大ア式蹴球の問題について。日大OBの畏友J君指摘する母校組織の問題。日大は昭和40年代前半の学生運動で大規模で激烈な「日大紛争(闘争)」経験。全学部学生結集し不正入試や賄賂、不明瞭経営糾弾の巨大団交行。これが大学本部経営陣にはトラウマとなり現在18もある学部が一体となって何かをするとか、キャンパス統合といふ発想の消去。通常、大学は教養課程と専門課程でのキャンパスの違ひや一部学部が別なキャンパスはあつても一体のイメージあり。だが日大は法学部と文理学部芸術学部と医学部、理工学部と経済学部……に何の交流もなく「日芸」持ち出す迄もなく其々が実質的に単科大学。教授陣も学生たちも他学部と「同じ大学」といふ感覚一切なし。ところが(こゝが重要だが)「経営陣集まる本部だけが存在」。そのバラバラな大学の人事と金だけコントロールする体制あり何十年も本部に居続ける経営陣が君臨。学長、副学長以下教授陣はたゞの雇はれ、本部に対するチェック・批判機能一切持たず。そして(メディアもわかつてきた点だが)その経営陣は体育会人脈で固められ理事長=相撲部、今回問題の常務理事=アメフト部など首脳部は皆、体育会が占拠。経営における最優先順位は上下関係、健全な批判はそこには存在せず。体育会=ダメではなく「緊張感のない、ガバナンスの意味すら分からない古い体質」変へぬまゝ半世紀近く来てしまつたところに失敗の本質あり、と。御意。
▼文芸評論家の斎藤美奈子といふとみやこ新聞での辛口の権力批判の印象強いが本職は文芸評論。最近あたしは書架でホコリかぶつてゐた昔の岩波『図書』読んでゐるが2014年8月号から始まったこの方の「文庫解説を読む」といふ連載で初回が面白い。取り上げたのは岩井克人ヴェニスの商人資本論』のちくま文庫(1992)で、この名著の文庫化で岩井克人は文庫になると「解説」がつくこと懸念し「みずからが解説を書く」としたが上手くいかず挫折して「開き直りとも弁明ともつかぬ一文」(斎藤)を加へ持論を説く。文庫の解説なるものは著者への追従か、著者と解説者の間の仲間意識の再確認か、解説者自身の小さな自我の発揚かのいずれかで優れた著作も解説の所為で「現世的な世界にひきづりこまれ書物が書物としてもっているべき自律性を失ってしまう」と岩井先生。斎藤美奈子は岩井先生には失礼ながら『ヴェニスの』の本編の大方の内容は忘れてしまつたが、このコメントは覚えてゐる、と。アタシも同じ。

たとえ「解説」という短い文章であるにせよ何か付加価値をもったもののほうが同じ市場で安い価格で売られているという事態は、いやしくも資本主義なるものについて論じている書物に関してあってはならないと私は思っている。

と、この岩井先生の「読者を煙に巻く、人を喰った解説論」(斎藤)は本当に可笑しかつた。