富柏村香港日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴る日剩でござゐます

危険なので近寄らないでください!

fookpaktsuen2017-10-07

農暦八月十八日。朝から自宅の片付け。だいぶ電気関係の環境がすっきりする。午前中5kmほどジョギング。まだ暑いが風は爽やか。午後は官邸で週末の書類整理。夕方、香港大学へ。家人と美術館でインドネシアの伝統的な布地の展覧会を見る。久々に午後6時の開店に合はせ光記飯店へ。西檸鶏あり何年ぶりかでこれを注文すると隣卓のオヤジが「あ、懐かしいな、西檸鶏だ」と自分もそれを注文してアタシらの飲んでゐた啤酒が美味そうに見えたのか自分も啤酒注文して飲み切れず「あんたたちも」と啤酒注いでくれる。西環からは今では地下鉄もあり便利だが空港からのA12系統のバスが西環を経由して中環から北角はバイパスで東區に向かふので、これがHK$8で乗れるから快適。帰宅して岩波書店『世界』9月号読む。
▼『世界』9月号で桐山桂一(美や古新聞論説委員)『「文一道」でゆく 憲法大臣・金森徳次郎の議会答弁」が秀逸。終戦での憲法「改正」にあたり政治の民主化といふ点では意を一つにする時の憲法学の泰斗・宮澤俊義(勅撰貴族院議員)との国会での金森との質疑応答が興味深い。ポツダム宣言受諾と戦前の天皇大権と国民主権の問題、どこで國體が変はるのか、それを「八月革命説」で法学的に根拠ありとしようとする宮澤、明治憲法にも国民主権主義が見出され新憲法国民主権が謳はれることに違和感はないと答弁してみせる金森。後者はさうせぬと明治憲法の手続きによる憲法改正が困難になるからで、だから「革命が起きたことに」とする前者。いずれも「曲芸」の域。「国民主権」も当初の日本側の草案にあつたのは「至高の地位が国民に存する」であつたといふ。幣原喜重郎の「無防備主義」も「それは世界が無防備になった時に平和が達せられる、日本はその先頭に立つであろう」といふ願ひが憲法の平和主義に表れたもので「時期的なものがあり、準備は実行より前に必要である」と金森博士。憲法大臣退任後は晩年の11年間を国会図書館の初代館長。手記に博士はユネスコ憲章の全文を愛する、戦争は人の心の中で生まれるものであるから人の心の中に平和の砦を築かなければならず……とそのために万民が公平に利用できる資料が整備された場所として国会図書館の大切さを説き国会図書館法の前文にある「真理がわれらを自由にする」の言葉にいつも心の中で最敬礼する、と遺してゐる。この「真理がわれらを自由にする」を初代館長が「誰の考案かは知らぬが」と書いてゐるのが興味深い。国会図書館といへば羽仁五郎が戦後すぐの参院議員で自分が国会図書館設立に尽力し羽仁五郎によれば、この言葉も自分が選んだものと確か書き遺してゐたはず。国会図書館の本館ホールにある「真理がわれらを自由にする」の書の揮毫は金森博士によるものと、この記事で識る。この国会図書館と「真理がわれらを自由にする」といふ文言、羽仁、金森については『参考書誌研究』(1989年第35号)に論考がある(こちら)。
幣原喜重郎の1928年の言葉。

一般の民衆は自国と外国との間に発生する紛議に付いては何となく対手国の主張が常に不正不当なるが如き一種の先天的偏見を抱くの傾向を免れない。冷静なる態度を以て双方に公平なる意見を公表する者は動(やや)もすれば其愛国心を疑はれ、悲憤慷慨の口調を以て対手国に対する反感を扇動する者は却て聴衆の喝采を受ける。此人心の傾向は屡々国際関係の円滑を妨ぐる所の一大原因であります。

まさに晋三こそ北朝鮮をネタに「悲憤慷慨の口調を以て対手国に対する反感を扇動する者」なり。
▼かつて秋葉原で「晋三!」コール!で最強誇つた晋三が夏の都知事選では「帰れ!」コールに「こんな人たちに負けるわけにはいかない」で惨敗、そのトラウマあり今回の自分が仕掛けた衆院選では応援演説したくとも「帰れ!」コール恐れ応援演説日程も事前に公表できず演説中は聴衆を近づけず警察が守るなか非常に孤独感漂ふ状況。独裁の権力がどれほど虚妄なものか、この首相にはわかるのかしら。その演説を聴く側からするとケーサツが「危険なので近寄らないでください!」と市民を近づけてゐないやうにも見える。
▼「戦後日本」といふのは新生のものが70年で「良き保守」として培はれてゐたこと。加藤陽子教授が、その戦後日本の国家原理と、それを毀さうとする晋三について語られてゐる(朝日新聞こちら)。

戦後日本が培った原理に、「私的領域」と「公的領域」の明確な区別があります。近代立憲国家として必須のこの原理に、安倍政権は第一次の時から首相主導で手をつけ始めました。
2006年に60年ぶりに改正された教育基本法では、前文の「真理と平和を希求」が「真理と正義を希求」に修正されました。「平和」は一義的ですが、「正義」の内容は価値観によって違い、国家が定義すべきものではありません。
明治の日本が学んだ西欧の憲法は、過去の宗教戦争の惨禍に学び、国民の思想や信条に国家の側は介入しないという良識を確立していました。だから、教育勅語という精神的支柱の必要性が説かれたとき、明治憲法の実質的起草者だった井上毅は「君主は臣民の良心の自由に干渉」すべきでないとして反対しました。
結局、教育勅語は出されましたが、国務大臣が副署しないことで、政治上の命令でなくなった。国家は国民の「私的領域」に立ち入るべきではないとの良識が、この段階では保たれていたのです。(略)
国家が国民の私的領域を侵そうとする姿勢は、自民党改憲草案にも見えます。憲法13条の「すべて国民は、個人として尊重される」が、「人として」となっている。「個人」を「人」に修正するのは、内面の良心の自由が守られるかという点で大きく違います。
国家と国民の関係の変化は、内閣と立法府である国会との関係の変化として顕在化します。今年6月の「共謀罪」と「天皇退位特例法」の審議過程がそれです。
共謀罪」では、安倍内閣参院の通常の手続きを省き「中間報告」という異例の手段を取りました。法案を早期に通すためです。同時期に成立した天皇退位特例法は、与野党全会派の全体会議で事前に意見集約され審議が進みました。どちらも奇策です。
来たるべき憲法改正論議で、こうしたことは十分起こりえます。内閣と国会の関係は、確実に静かに変わりました。私たちが直面する政権「信任」選挙は、このような地平での闘いにほかなりません。