富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農暦七月廿九日。まだ随分と暑い。先々週月曜の尿路結石の経過観察で養和病院泌尿器科へ。Y國手曰く3年前も結石あり(その時は多少の血尿見られたが今回のような激痛なし)MRIで見ると腎臓に結石あり自然に小さくなるか、これがひどくなるかできれば1年に1度はエコーで検査をと勧められる。術後の低血圧は投薬の結果でよく見られる症状で110/80くらゐで落ち着いてゐるのなら血圧上昇がなければ毎日の血圧抑制の薬は控へて良いし体重の減少も直接、尿路結石とは結びつかないがMRIでもX線、尿検査でも問題が見当たらず昨日提出の検便も異常なし。本人も不調や部位の痛みもなければ3週間余で4kg+の減少なら許容範囲といはれる。今後も体重減少が続くようなら精密検査しませう、と。
安藤忠雄氏が大阪市児童図書館寄贈の由(毎日新聞)。素晴らしい行動だが安藤先生のドローイング、あれ、これどこかで見たやうな?と思つたら澳門の大三巴とそっくりなのである。勿論、それの模倣ではない。崗の上と大阪の中之島の地形の違ひ、建物も焼け残つた教会と安藤先生の設計する図書館は違ふ。だが安藤先生のドローイングが(上手下手はいはないが)図書館の建物が平面的で、その前のアプローチがどう見ても傾斜に見える。非常に基本的な遠近法とか何かがズレてゐるからで、これが建築科の学生のドローイングなら指導教官から「基本の基もできてない!」と叱られるところだが安藤先生ほどの巨匠となると「これでいいのだ〜」かしら。
▼李怡先生の今日の蘋果日報の連載「大倒退」(こちら)。香港で<香港独立>の言論が深刻な問題扱ひとされてゐるが、そもそも中共ぢたいが国府打倒の革命政権であり、それ以前に確か民国時代に湖南で自治政府確立と独立の動きがあったのではなかったか、とアタシもぼんやりと思ひ出してゐたが、それについて。中共結党以前の湖南省で毛澤東も関はり湖南共和国建国の動きがあり、当時の1920年代の民国はこれまで軍閥が勢ひをつけ中央政府不能と思はれてゐたが実は共和制や自治といふ近代思想が広がり中国の近代史にとつて最も思想的に自由な時代であつた、といふ歴史的見直しも最近盛ん。この当時の大学がその時代のなかでどういふ役割を果たしたか、五四運動を見れば明らかだが、それに比べ<香港独立>といつた若者たちの半ば戯論のやうな主張に対して、その言論すら学内で許さぬ大学の学長らの怯へを李怡先生は何といふ歴史の後退か、と嘆く。御意。

距今將近100年前的1920年,青年毛澤東在長沙《大公報》發表了12篇文章,推動湖南的「獨立」。第一篇發表在9月3日,題目是《湖南建設問題的根本問題──湖南共和國》。當時的背景是北洋軍閥政府時期,但2012年河北大學教授王鐵群寫了一篇長文就稱之為「民國北京政府時期」,不認為是軍閥政府,而且認為這是「二十世紀中國最民主的時期」。
當時統治湖南的譚延闓宣佈「湘人治湘」「還政於民」,毛澤東及其同路人(中共未成立)趁機推向「湖南自治運動」,要求實現「全自治」。他在一系列文章中說,「中國四千年來之政治,皆大架子大規模大辦法。結果外強中乾,上實下虛,上冠冕堂皇,下無聊腐敗……。凡物沒有基礎,必定立腳不住。政治組織是以社會組織做基礎,無社會組織絕不能有政治組織。有之只是虛偽。」「中國的事,不能由總處下手,只能由分處下手」,所以要「打破沒有基礎的大中國建設許多的小中國從湖南做起」。他主張中國27個省建設起27個國。他認為「湘人治湘」不是「民治」,他們「不僅不願被外省人來治,並且不願被本省的少數人來治」,因此要「鄉長民選,縣長民選,省長民選」的「全自治」。他說主張「湖南國」,「並不是一定要從字面上將一個『省』字改成『國』字,只是要得到一種『全自治』而不以僅僅得到『半自治』為滿足。『國』的要素為土地、人民、主權。主權尤為要素中的主要素。湖南人沒有處理自己的事的完全主權,而長被侵奪於益我則少、損我則多的中央或鄰省」。
毛澤東將近100年前的主張,揆諸今日中國和香港,仍不過時。中國的政治100年沒有進步,而且實際上是大倒退;而香港,在主權轉移後,也迅速倒退。上引毛澤東寫的「湖南」,若換成今日香港,「湘人治湘」換成「港人治港」,幾乎每一句論述都適合。
中國100年前仍然有言論自由,因此毛澤東主張湖南獨立的言論還能公開發表,也有胡政之、張季鸞主筆政的《大公報》刊登。現在這種意見大陸不可能發表,《大公報》也今非昔比。
「民國北京政府時期」實際上是中國現代最民主的時期,大學的學術自由,大師輩出;報刊言論自由,新文化運動在這時期產生,大量優秀作家湧現;各地實行地方自治,地方官員不是由中央任命而是在地方憲法基礎上產生。
近年,大陸作家岳南寫了三冊叫《南渡北歸》的書,講中國知識人在近百年的漂泊命運。有人讀了第三冊後概括北洋時期、抗戰前期和後期、台灣時期、中共建政時期,其中最好是北洋時期,知識人「獲尊重,覺醒,有骨氣,生活優裕,大師輩出」;最糟是中共建政時期,知識人「遭打擊,滅絕人性的迫害,思想禁錮無人格,無骨氣」。
現在輪到香港,連講「獨立」的自由都不比100年前的大陸;而大學校長呢,比之於五四運動保護學生的北大校長蔡元培的風骨,相去何異霄壤?

▲首相自身が渦中にある加計学園森友学園問題は何も解明されておらず、引き続き国会の焦点だ。首相も先の通常国会終了直後は「今後、真摯に説明する」と約束していた。ところが、それを避けて解散に持ち込むのは、よほど疑惑を隠しておきたいからだろう。首相がそれでこの問題は忘れ去られると考えているのなら国民はなめられたものだ。解散・総選挙によって政治空白が生まれ、「北朝鮮問題への対応は大丈夫なのか」との不安もある。自民党からは「北朝鮮問題は長期化するから、いつ解散しても同じ」との声を聞く。ならば、なぜそう判断するのか、そして、この問題をどう解決しようと考えているのか、説明すべきだ。確かに内閣支持率は一時と比べて回復している。しかし、それは北朝鮮問題という対外的な危機感が現内閣への期待を生んでいるからに過ぎない。首相の努力の結果ではない。首相は先月、改造内閣を「仕事人内閣」と自賛した。成果どころか、仕事の中身さえ国会で示す前に解散するということでもある。2014年11月、消費増税先送りを理由に衆院を解散した時以上に大義はないと言うべきである。首相は米国から帰国後に最終決断するという。冒頭解散は国民不在の選択である。