富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

台北二日目

fookpaktsuen2017-03-19

農暦二月廿二日。雙連を抜け迪化街へ。迪といふ字は音は「テキ」で読みは「みち」で「教え導く」の意。迪化街は di hua jie (テキカ街)。戦前は永楽町で市場は今も永楽市場。其処の林合發で油飯。近くの食肆で米苔目(ミータイムー)も啜る。暇な午前、どうしませうかといふことで家人の提案で寶藏巖國際藝術村へ。北門站から公館站まで捷運で。そこから西の新店渓と南の高速道路に面した小高い丘をぐるりと巻いて登ると宝蔵巌といふ寺で、その奥にこの藝術村あり。山肌に張り付くやうな苫屋の再開発で家屋はそのまゝ芸術家に貸し出し。一般参観は午前11時からださうで1時間近くあり引き返す。散歩なので中の参観はなくてもいゝのだが。公館站から中正紀念堂站まで戻り南門市場。食材買ひ出し。捷運で石壁まで北上。站前で南京牛肉麺啜り路線バスで信義路の温泉へ。湯治。市内に戻り買ひ出しの家人と一旦別れ書店巡り、徘徊。早晩に林森北路で医師で地唄舞もされる文章兄と合ふ。ちょうど日本の連休で来台中。目的は多種多彩な兄の古琴研究。日本の(中国にも残るが)「箏」ではなく「琴(きん)」。林森北路の馴染みのスナックへ。文兄から東皐心越(1939〜1696)の話を聞き来日のあと国内の旅に明の探りの者かと疑はれ囚はれたところ徳川光圀の尽力で水戸に移り天徳寺、のちの祇園寺に身を寄せた話に繋がる。祇園寺は元々は水戸の河和田村で後に現在まで八幡町に残りアタシの出た高校は祇園寺の隣でご学友と屢々授業をサボつての一服で境内を汚してゐたのは大変申し訳ない話。久々の博覧強記なる文兄との歓談は閉まつてゐた記憶の抽斗をいくつも開けてくれて実に面白い限り。款語尽きぬが食事の時間で文兄に同行の若きV君と三人でタクシーに乗り松江南京。家人も来て四平街の四平小館で酸白菜鍋。歓談数時間の後にタクシーで林森北路まで戻り公園傍で暫し話続きお開き。

人間は基本、スケべだ。私の人生、内なるスケベ心との闘いだと言ってもいい。小さな拍手をもらったら、もっと大きな拍手が欲しくなる。知らず知らず拍手をもらうことが自己目的化してパッションや真実を手放し、過剰に飾ったりとがったり、その過剰さにいつしか人格がのみ込まれてしまう人もいる。分野や思想の右左を問わず、たくさん目撃してきた。森友学園籠池泰典氏も、たぶん。
幼稚園児に教育勅語を暗唱させる。差別的言辞を吐く。籠池氏の言動のいちいちに驚きと怒りを禁じ得ないが、そんな氏に「拍手」を送り、いまは知らん顔している政治家や有名文化人らの魂の所在を考えずにはいられない。(略)
「敵」を仕立てて被害者面をする。己の責任には無関心で、詰みそうになっても認めず、時に逆ギレして盤面を荒らす――。私の見たところ、これが森友学園問題の登場人物の基本パターンで、それはどうも「お国のために頑張っている=自分は間違っていない」という無敵の脳内等式に支えられている模様。「愛国心は無頼漢の最後の避難所」(サミュエル・ジョンソン)とはよく言ったものである。
さて。首相は最近、国会で「印象操作だ」を連発し、13日の福島瑞穂参院議員の質問には、「あなた責任とれるんですか」と声を荒らげた。
憲法は国会議員の国会での発言に免責特権を認めている。全国民を代表しての、自由な議論を保障するためだ。
国会において首相は受験生、質問者は面接官のようなもの。受験生が面接官を、ひいては国民を恫喝する異常事態。政治家が説明責任や道義的責任を放棄するな、主権者は奴隷じゃねーぞ――と脳内デモ決行中に、自民党の新ポスターのキャッチコピーが「責任を果たす。」だと知る。10年前の安倍政権崩壊の顛末。春からの通常国会終盤で、安倍政権を追い詰めたのは「消えた年金」問題だった。長妻昭衆院議員ら当時の民主党社会保険庁の杜撰な行政の実態を次々と暴いた。前後して事務所費問題や失言などで閣僚の辞任も相次いだ。国会閉会直後の調査で、安倍内閣は支持28%、不支持48%に落ち込んだ。ただ思い出すべきは(当時)間近に迫った参院選比例区投票先の回答だ。すでに民主は25%で、19%の自民を引き離していた。世論は冷静な現実主義者である。ひとつの政権を見限るのは、次の政権への期待があってこそのことなのだろう。