富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農暦丁酉年正月初一

fookpaktsuen2017-01-28

農暦丁酉年正月初一。恭囍發財。朝起きて展望風呂に浸かる。朝食はホテルのビュフェ避け昨日、遊歴書房入り口のカフェでT氏買つてくれたパンを飰す。午前九時すぎ円タクで善光寺。参拝。今日は春節で正に元朝参り。八幡屋で七味など調達。長野駅行きのレトロバスに乗車。駅ビルで買い物に母を残し駅舎を跨ぎホテルに戻り荷物引き取る。少し早めの昼餉にH氏また来られ明治亭でソースカツ丼。キャベツが美味い。キャベツの値が高騰でもこの量を盛るのかしら。あさま616号で一路、東京。上野で母は下車。東京駅丸の内口で麻布の旅寓からタクシーで来た家人と待ち合はせ。荷物片付け地底のホームから成田エクスプレスに乗る。東京も見事な快晴でスカイツリーもくつきり。成田の第1ターミナルで香港に還るフライト(NH811便)は28番ゲートG(バス輸送)なのにあっさりと「お近くのラウンジは」第5サテライトでございます、といはれる。近くはない。スタアラ金でUAのラウンジも使へるが様子見で敢へてANAラウンジへ。羅城だかに飛ぶ昭和8年生まれの爺さんがラウンジの食事も卑しい上にあれこれ煩く最初は職員に「ありがとう、ありがとう」だつたが酔ひがまわると職員呼びつけ何だか知らぬが「社長によく言っとけ」と怒り出し見てゐるだけで不愉快。あゝいふ耄碌だけはしたくないもの。あんなジイさんを一人で渡米させるか。今日は春節初一でフライトもさすがに空いてゐる。成田を発ち房総半島から東京湾、横須賀から三浦半島、熱海から沼津と伊豆半島も眺め、駿河灘、伊勢湾から紀伊の山深く、土佐から宮崎、鹿児島と見下ろす。台湾は淡水から台北に入れば今まで見たこともないほどの精緻さで市街がくっきり。台北101の電飾まで見えるほど。遠くには宜蘭も街灯まで見えるとは。予定より45分早く香港着。空港も到着客はやはり閑散。ダンボール箱一つが優先なのに出てこないと思つたら長すぎてベルトコンベアに乗らず職員が別途運んできた。正月初一に業務の職員も大変。帰宅しても今晩は荷物片付けとても終はらず明日に持ち越す。
▼機中で読んでゐた岩波『図書』昨年12月号に八千代と仁左衛門様の対談あり。前者が『京舞つれづれ』なる四世八千代(先代)について語つた本が上梓ださうで秋には追善会開催の由。当代のことは全く知らぬが先代の八千代の京舞の凛々しさといつたら。日本舞踊など殆ど見てゐない私だが昭和の終はりは八千代、それに武原はんの二人会を見られたのだから。そして地唄舞吉村雄輝仁左衛門が孝夫時代、病ひから舞台に復帰して〈お祭り〉のとき八千代(くどいが先代)が見にきてくれたさうで、誂へた獅子頭は東京、大阪に京都と公演続き布が色焼けしてゐたら八千代師匠が「費用は私が出しますさかい新しいのを作ったげとくれやす」と。一寸いゝ話。
朝日新聞論壇時評。小熊英二「社会の分断 他者思う大人はどこに」(こちら)より。

社会の分断が政治への不満を生み政治を変革したいという願望が結果的に差別的な権威主義を呼び込み、さらに社会の分断を強化してしまう。先進諸国で「民主主義への支持」や政治への関心が低下し権威主義への支持が増えている。
子供を大学に行かせられるかは収入の一つの基準である。大都市部で子供2人を大学に行かせた場合、年収600万円では税金・保険料・教育費を除いた生活費が生活保護基準を下回ってしまう。
では、所得が600万円以下の人は何割なのか。国税庁民間給与実態統計調査(2015年〈5〉によれば、給与所得者4,794万人のうち600万円を上回るのは18%。男性の給与所得者では28%である。この数字だけから単純には言えないが上位2割程度の所得がないと子供2人を大学に行かせるのは苦しいといえそうだ。
1990年代以降の日本で全体に占める所得のシェアが伸びているのは上位1%ではなく上位10%の下半分、つまり上位5%から10%の部分だ。そして2012年の所得上位5%から10%とは年収約750万円から580万円の人々だという。なお同年の上位1%は年収1,270万円だった。上位10%は無所得者を含む20歳以上の成人全ての中の10%である。給与所得者では上位2割に相当する。
日本社会は全体に低所得化している。そのなかで大企業正社員クラスにあたる年収600万円以上の層が上位10%として相対的に浮上している。しかしこの層も長時間労働にあえぎ教育費がかさめば生活は苦しい。結果として社会の全ての領域で大部分の人々が余裕を失っているのだ。
余裕がなくなればなくなるほど事態を直視するのが難しくなる。自分の貧困も他人の貧困も「努力不足」「自己責任」と考えがちになる。それは社会の分断を強化し自分の余裕を失わせる。これでは悪循環だ。