富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

青島その③

fookpaktsuen2016-11-26

農暦十月廿七日。快晴。昨晩の何をするでもなく夜の散歩に疲れ今朝は珍しく八時前まで寝てゐた。ラウンジで遅めの朝食。ジムのトレッドミルで半時間だけ走る。部屋で机に倚りあれこれしてゐる内に昼前となり慌てゝ旅荷片付けラウンジで退房してゐると経理のG氏来られロビーに降りるまで、降りてからもCXのマルコポーロクラブの見直しとSQのシャングリラ協定につき同趣の話題で盛り上がり、いくつか貴重な情報いたゞく。氏も青島から日本に還る際にCXで香港経由してゐたが昨年の見直しで「もはやこれまで」だといふ。ホテルで小銭両替してもらひ26番の路線バスで旧市街へと向かふ。その沿線には海岸線沿ひ旧ドイツ建築を真似た、かなり豪邸に近いリゾート型分譲住宅が並び、そのうち元々ドイツが建造した古い建物が目立つやうになれば旧市街。狭い市街なので歩いてゐれば丘の上に天主堂が聳えるのが見える。建物こそ残してはゐるがファザードなど悪趣味に商店風に化粧してしまつてゐたりは残念。天主堂の丘の裏手は古い住宅が並び商店も並んでゐたやうだが「再開発」ですつかり空き家ばかり。その開発も経済成長停滞で頓挫か、するとゴーストタウンだらう。辛うじて海産物扱ふ商店の並ぶ通りは飲食店なども並び角の「水餃」も看板にある一軒の食堂に入り三日目でやつと餃子にあり着くところ食譜に餃子で○魚水餃とあり何かと思へば鰆(サワラ)の魚肉を飴にしたもので値段も少し高く当地の名物だといふ。啤酒は一昨日からもう飲み過ぎに青島啤酒飲んでゐるが銘柄もわからぬ、食堂でタンクから供される生啤酒こそ美味いわけで生啤酒注文すると汚い食堂なのにジョッキへの注ぎ方慎重で勢いよく注ぎ泡が収まるの待ちて亦た注ぎと、じっくりと時間かけ四度目くらいで出来上がり。大した技量。これを飲みながら随分と待つて出てきた餃子は注文があつてから鰆を割いて魚肉解し練つて飴のしたやうで蒸された餃子の皮を滲みて迄その銀魚の旨味が蒸気となつて鼻をつく。想像より魚臭い。これが好きな輩にはたまらないが煮魚系の臭ひ苦手だと臭いと飴の旨味が一寸辛い。アタシも個人的にはどちらかといふと後者。一つ二つは美味いが半斤なのか二打も供されると、さすがにつらい。むしろ少し冷めてからの方が旨味は減るのだらうが食べやすい。慣れぬ食材の蒸し物といふ調理法に何となく肌に痒感あり。旧市街の中山路目指して歩く。青島の銀座通りで戦前からの老舗商店が並ぶ中に春和樓あり。19世紀後半からの青島に春和楼ありと謳はれた名料理屋。先ほど餃子頬張り啤酒飲んだばかりだが、この食指は青島の魯菜全般で人口に膾炙すなかでも春和樓蒸餃と銘打つた飴各種の餃子あり食べぬわけにもいかぬ。先ほどの○魚餃子は遅めの昼、こちらは早めの夕餉といふことにして三鮮蒸餃を頬張る。こちらは各種香料混ぜた飴がこれまた見事で、やはり作るのは簡単な餃子のやうだが供されるまで20分ほど。昼餉の時間もすぎ客は疎らで蒸すのにある程度の注文が入るまで待ち一気に高圧の蒸気で蒸し上げるのだらう。この待ちがあるから啤酒でも飲んでゐないと時間が潰せない。路線バスで青島站へ。高速鉄道の開通で站舎は中国のどこの大都市にでもある巨大な「高鉄建築」になつてゐるのかと思つたが、さすがに青島だけあつてドイツ風の旧驛舎の建築様式損なわず旧舎の隣に新しく建造とはお見事。やはり鉄道驛の風情は終着駅に限る。

26番の路線バスは火車站が始発で、たゞ始発のバス停がどこかわからぬが驛に終着のバスが客を降ろして走り出すのを追ひかけバス番号の表示もない始発のバス停にたどり着きバスに乗る。時間はまだ午後3時すぎだが冬で陽はだいぶ西に傾き沿海には多くの旅遊客が鳩まり西陽に映える海岸と青島の旧市街を愛でてゐる。これだけで本当に大した観光資源。路線バスからの車窓の光景も美しい。ホテルに隣接した万象城といふ商場に入る。豪華な空間。香港にもこんな規模の商場はない。外を歩く人など少ないのに商場の中にはかなりの人出。これで地下鉄が開通したら、どんなことになるのかしら。シャングリラに還るとValley WingのフロントにG氏をられ昼の話の続きも絶へず。タクシーで今晩の宿となるハイアットリージェンシーに向かふ。シャングリラでも旧市街から随分と離れた開発区と思つてゐたが北京五輪のヨット会場跡地の開発区や日本人居住者も多い香港花園界隈を抜け更に東に東にと豪邸が並ぶ分譲地や香港では考へられぬ広さのリゾート風高層マンション立ち並ぶ。郊外に行けば行くほど売れ残りや開発途中で放棄された分譲地もちらほら。真っ暗な中に突然、またメッセ会場のやうな建物が現れ、その隣がハイアットリージェンシー青島。こんなところに、と思ふが自家用車で週末の夕食や酒飲みに(代行はないだろ、運転して帰るのか?)来客少なからず。21階のラウンジでチェックインして22階の市街ビューの部屋に下榻。海を眺めるにも夜は真っ暗、昼間は霧霾なら開発区を見下ろすほうが勉強になるか、と。予想通り、で眼下には開発失敗の高級分譲豪邸の半廃墟、その向かふに巨大な商場がこれでもかとネオン光らせる。闇は何かと思へば開発区にありがちな外省人の出稼ぎ村らしい。部屋はシャングリラのあの豪華重厚さに比べるとハイアット、それもリージェンシーらしい洗練された使ひ勝手良ささうな部屋で中国家具も嫌味がなく快適な空間。

ラウンジでハッピーアワーの、今日3本目の啤酒を飲む。夜の散歩。ホテルを出て開発に失敗した豪華分譲住宅地区の横を抜け外省人村と派手はネオンが眩しい商場の方へ。出稼ぎ村の舗装もされてゐない路地に入る。街灯もない。路上の屋台や粗末な商店が点在する真っ暗な中を行き交ふ住人たち。1960年代の東京はもう少し明るく活気があつたか。中上健次の好きさうな路地の世界。迷宮のやうな村のなか人が多く流れてくる方向を逆光すると眩しいネオンに近づき眩しさで暗い人影も消えるほど。商場側からだと路地とも思へぬ細い空間から商場が接した広い道路に出る。両側で8車線の道路の向かふにも同じやうな商場。交差点は地下鉄の工事現場。何年後かにこれが早くと開通するのを待つデベロッパー。商場に入る気もしないが無印に寄つて手袋等贖ふ。青島でタクシーとバス、餃子と啤酒以外に初めてカネを使つた。ホテルに還る途中、また出稼ぎ村に今度は違ふ方向から入る。商店もなく真っ暗な中に小さな粗末な家が並ぶ。その中にぼんやりと灯があり近くと「推拿」とあり按摩屋。こんな暗がりで紅いネオンサインなら按摩どころかチョンの間か、と思ふ。中を覗くと畳三畳にも満たぬ広さに按摩台が置かれただけで三方が路地に面して中は丸見え。そこに按摩師らしき若者がゐるだけ。これぢゃ衆道の風俗業でもあるまい。実はこの青年が客引きで奥から淫賣婦が出てくるには、その部屋もない造り。掘っ立て小屋のやうな建物で一般的にはかなり二の足を踏むところだらうがアタシはさういふ点では躊躇しないので扉を開け「今、按摩できるの?」と聞くと「どうぞ」といふので当然こんな場所でカーテンすらなく外から見えるのだから着衣のまゝ按摩台に伏せる。さすがの寒さで按摩台の電気毛布と部屋に置かれた小さな炭火が赤々と燃える暖房の、電気の暖かさではない何とも温みが心地よい。按摩の腕は大したものでぽつぽつといろいろ四方山話。実家は山東省の田舎で青島で以前は大きな健康中心で按摩師をしてゐたが気功など自分で学ぶうちに静かにその施術をしたい、と自分でこの村で開業して2年だといふ。気功や中医の話、座禅や呼吸のことから文明論まで話が尽きぬ。それでも香港のBeyondが好きだとか(若いのでこのバンドの現役のことは知らないといふ)、アタシが失礼だけど此処をスケベ系按摩だと勘違ひする客はゐないのか?と尋ねると近くに数件さういふ按摩もあるので時々あるが扉を開けて、この開放的な空間と自分しかゐないことを知ると慌てゝ出てゆく客もときどき、と笑ふ。肩が毎日の電脳生活でがちがちだが、とくに右肩の腕元あたりの凝りは尋常じゃない、といはれ揉み解せないから、とbá guànを勧められる。がこれが抜罐とすぐに聞きとれず。吸ひ玉(カッピング)治療なんて十数年やつてゐないかしら。按摩師の勧めに従ひ抜罐。さすがにこれは着衣は無理で上半身裸になるが、これは自分が路地から眺めてみたい。1時間の按摩と抜罐で75元也。青島に来る機会など次にいつあるかわからぬが、この按摩は機会があれば再来したくWeChatで連絡先をもらふ。按摩をしたら腹が減り、考へてみたら午後3時すぎに餃子を食べてから7時間。集落の入り口にある蘭州牛肉麺に入り麺を啜る。ホテルに戻り地下のバーへ。土曜晩でも三更に、この辺鄙な場所では広いバーで三、四人の泥酔の客が、どうやつて帰るのか、おそらく自動車運転しさうだがべろんべろんになつてゐるだけ。グレンフィディックをダブルで1杯だけ飲んで半夜三更に部屋に還る。

▼学者の対談で朝日新聞杉田敦がツッコミ役で長谷部恭男に話させる「考論」が面白いが毎日新聞北田暁大がホストの対談が面白く今回は小森陽一先生。

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  • 毎日新聞のメディアに元朝日の稲垣アフロえみ子記者とは画期的。大衆融合を嘆く毎日の論調に大衆融合のない民主主義などないと喝!(毎日新聞
  • 防衛省 英文の閣議決定資料で「駆けつけ警護」を英訳しなかった事情(ldnews)美しい日本が誇る曖昧さ
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