富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

青島その②

fookpaktsuen2016-11-25

農暦十月廾六日。快晴。終日某所に連行されセミナーあり末席を汚す。晩にシャングリラホテルに戻り夕食会。同じ卓で数名の日本人が1980年代前半の中共をよく識る謂はゞ同志で、まだ貧しくも開放政策で人々が明るく元気に生活し始めた当時のこと物語する。終はつて昨晩のバーは賑やかすぎたのでロビーラウンジで同行の方々と飲む。昨日このホテルにチェックインの際に今年末で切れる点数がUS$100分だかあると聞かされ宿泊への転用は叶はず飲食のみといふので昨晩の飲み代はその点数で相殺したが、まだ半分もあり今晩もそれで。部屋に戻るが夜中の市中視察とタクシーで(といふか、それしか手段がない)威海路に向かひタクシー降りて夜中の町を漫ろ歩き何をするでもなく亦たタクシーで香港中路。このあたり日本人多く日本人相手の卡拉OKバー密集なのを知る。だが店内から微かに騒ぎは聞こえるが人影もほとんどなく、在留邦人数千名で出張客入れも青島で日本人男性相手にこんなに何軒もの飲み屋がやつてゐけるのか。当然のやうに入るはずもなくタクシーでホテルに戻る。
▼今日ご一緒した三人の中国人の関係者。そのうちお二人は既知であつたが一人は貴州省出身の苗族で大学を出て日本に技術留学する前は国家事業系の航空開発会社勤務でミサイルの設計をしてゐたといふ。もう一人の女性は天津出身だが母が右派知識分子として文革で新疆に下放され現地で知り合つた男性との間に生まれたといふ。今日初めて会つた若い女性は青島生まれで青島育ちだが小学校から大学まで家の近くで、ここで一生が終はるのか?と思つたら当時は留学ブームで友だちが米国などに留学するのに触発され自分はタイのバンコクに行き大学で学び日系の経理会社に働いたといふ。人それぞれ数奇な人生あり。