富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2016-11-02

農暦十月初三。多忙な日々が続き遉がに昼間でも疲れて睡魔に襲はれる。身体には良くないよな、と思ひつゝレッドブルなど飲む。客人あり晩に杭州酒家に食す。その後、仕込み中の現場あり駆けつけ。へとへと。鵝頸橋で香港に来られてゐる福岡U女史、広島H氏に遭ひお二人らが橋底辣蟹で遅い会食とのことで料理が来るまで四方山話、啤酒ご馳走になる。帰るつもりが悪友二人がバーSで飲んでゐるといふので用事もありハイボール一杯だけ飲んで帰る。
▼2%の物価目標につき「実現していないことは大変残念」と日銀黒田。衆議院財務金融委員会で。言ひ訳は石油価格下落、新興国経済減速を挙げ「金融市場の変動につながるとは予想していなかつた」ってアンタ、財務省で財政のプロだろ。景気変動の大きなリスクとして原油価格と中国等の限界は高校生でもわかること。緩和手じまひの「出口」戦略は「申し上げるのはかえってマーケットに余計な変動を呼んでしまう」と言葉濁すがアベノミクス止めること以外、他に何の策があるといふのか。日銀の国際保有400兆円!超へ将来の緩和縮小で当然だが国債買ひ手つかねば金利急騰で平成の財政危機(もはや、だが)。平成の千古罪人なり。
加藤周一記念講演会で樋口陽一先生、天皇の退位問題について宮澤俊義憲法解釈を紹介(朝日新聞)。天皇には政治的権能がなく、その行為には内閣の助言と承認を必要とするとした新憲法の下で天皇は「ロボット」的な存在なのだと宮澤は解釈。宮澤が敢へてその言葉使つた背景には戦後の象徴天皇制に関する「健康な構図」のイメージあり。国民主権の下、国民が選挙を通じ政治家を介する形で正しくロボットに入力していくといふもの。しかし実際はど2013年に晋三政府が開催した「主権回復の日」式典では「国論が分裂するなか沖縄県知事が欠席するような集会に天皇・皇后引き出して最後には(天皇陛下)万歳三唱を唱和したこと。いまだに日本国民は宮澤先生の言つたた正しい意味での「ロボットへの入力」をできないでゐる、と陽一先生。サイパンで元植民地出身の人々の慰霊碑に立ち寄つたり園遊会で国旗と国歌は強制にならないやうにと発言したりしてきた現天皇は「日本のワイツゼッカーのようだ」。現天皇が国民に代はつて「慎重に控えめに」良識的メッセージ発してきた現実を直視すべき。憲法がロボットならぬ「人間」を象徴の地位に置いてゐる意味について議論を深める必要があり、本来なら「国民が選挙を通して内閣の長に表現させるべきこと」だつたとして「国民の責任」に注意を促されたといふ。……確かにある面、戦後の政治は政府だけではなく国民も含め天皇に本来自らの責任を代行させ甘えてゐたのだらう。
朝日新聞(社説)明日が憲法公布70年「未完の目標に歩み続ける」(こちら)。