富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2016-09-24

農暦八月二四日。昨晩は睡眠不足で眠いのに入眠する体力すら消耗してゐた。快晴。週末残務整理。晩に荃湾民豐粉麺製の餃子茹でて飰す。岩波の『図書』九月号に大正琴をよくする実験音楽家・竹田賢一の文章(大正琴いまむかし)を読む。
大正琴は子どもの頃、近くの楽器屋の音楽教室に通ふたび店頭にあつた大正琴の弦を弾いては店員に子どものいたずらと追ひ払はれてゐたものだつたが、あの一寸寂しげな音色が好き。子どもながらに玩具の楽器だと思つてゐたが、あの古賀政男が(指の大きなダイヤモンドやエメラルドの指輪は趣味悪いと思つたが)誰の歌ふ「影を慕いて」だつたか前奏で大正琴を弾いてゐるのを見て大正琴を見直した。母方の祖母が、どこのデパートだつたか楽器売り場通りかゝつた時に「あら」と大正琴を見たら、さっと俗曲弾いてみせてくれたのにも驚いた。三味線や琴は修行が大変さうだが大正琴なら多少鍵盤楽器の素養があれば簡単か、と老後の愉しみに一つ考へてゐたところ。その大正琴は竹田賢一によると1976年、当時、坂本龍一と「学習団」といふユニットを組んでをり、その打合せを新宿で御苑に近い東夷といふ店でした帰り新宿コタニといふ楽器屋にふらりと立ち寄り大正琴を衝動買ひ、その日に数時間練習して翌日のライヴで大正琴を披露したといふから大したものだが、それくらゐ手頃な楽器。この大正琴、大手?のナルダンを作るメーカーが「名古屋ハープ」で教則本も名古屋で出版されるほど名古屋の花形楽器だといふ。竹田が前衛美術家の水上旬から聞いた話が大正琴は名古屋の大須に縁があること。それを竹田が調べたところ大正琴大須にあつた森田屋旅館の川口仁三郎が発明したもので、大須の北野新地*1の旅館に生まれ育つた仁三郎(通称は森田吾郎、伍郎)は一絃琴を習ひ明治30年代には笛を携へ米国経由で英国に渡つた演芸師の経験あり、欧米で見たピアノやタイプライターが大正琴の発明の下地になつたか。花街の芸妓には琴や三味線は高価、一絃琴は士族の嗜みで*2二絃琴も出雲琴といはれるのは奉納の曲を弾くためのもので俗曲は厳に慎まれた由。そこで大正琴は花街を中心に芸妓から普及したのだといふ。
Facebookで誰より興味深いのが首相夫人のアッキー(旦那のことは「呼びつけ」のアタシだが彼女は首相夫人と呼びたい)。それにしても官邸、公邸でも画像撮りまくりで「いいのかしら?」とアタシが政府のセキュリティを心配。で訪米する夫の政府専用機の執務室での一枚(こちら)。これもセキュリティ上、問題ないのかしら……と思つたが米大統領だつてAirforce Oneの執務室写してゐるか。それでも陛下も此処にお座りになると思うと畏れ多い。それにしても机上の電話も昭和っぽいが晋三の電話もガラケー。新聞は、と目をやればAWSJとFTはまず読まない(読めない)でせう。その手前が味方紙の読売と産経。手元は左から東京、毎日、朝日……これは自分との距離感か。遠くほど遠い。でガラケーいぢる腕元で見えない一紙は何よ?政権との距離感で一番近く、って……聖教新聞か?w 日経なんでせうね、アベノミクスで景気ばかり気になるから。
毎日新聞北田暁大がゲスト招いての対談。小熊英二先生と「安保法制抗議運動」(こちら)。昨年の運動を高く評価する英二先生曰く

「1968年」と2011年の原発事故以降の抗議運動は、参加者の属性や意識が大きく違います。「68年」の運動参加者は大部分が大学生で、その多くは、経済の成長とそれに伴う卒業後の雇用の安定を疑っていませんでした。安定を前提にしたうえで、非日常な「ここではないどこか」を求めて大学をバリケード封鎖したり、機動隊と衝突したりした。「市民」を掲げた運動もありましたが、実際の参加者は学生が多く、あとは知識人や主婦や公務員が中心だった。
現在は、現状の生活レベルが今後も維持できるのかといった、未来への不安感が運動の背景にあります。11年以降の抗議運動の中心には、デザインや情報産業など知的サービス業の非正規専門労働者、認知的プレカリアートと呼ばれる人々が多くいます。高学歴でスキルはあるが、日々の生活や将来は安定しない人々です。反安保法制運動を主催したSEALDsの学生も、奨学金という名の借金を何百万円も負っている人が多い。彼らも認知的プレカリアートの一種です。こうした人たちの不安を、より広い層も共有している。「未来がみえない。平和な日常を守りたい」という不安感、言い換えればある種の生活防衛意識が背景にあり、それが広範な人々を集めた一因でしょう。
60年代と現在の違いの背景は、かつて運動や政党の基盤となっていた労組や学生自治会、地縁共同体など、さまざまな共同体の動員力が弱まったことです。人間の流動性が高くなったからです。それと入れ替わる形で、小グループのネットワークが台頭した。そこでは組織動員ではなく、SNSなどで情報を得た人が勝手に参加してくる。SEALDsも、ばらばらの大学の数十人の学生がSNSでつながって、社会一般に抗議運動への参加を呼びかけました。昔の学生運動が、学内活動を重視し、自治会を握ることをめざしたのとは、まったく形態が違います。

*1:大須観音の北に位置する花街、これが観音さまの西に移り旭遊郭、のちの中村遊郭

*2:宮尾登美子『一絃の琴』に家が潰れ芸妓となつた娘がお座敷で一絃琴披露し琴の師匠から破門された話ありといふ。