富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

国家を考へてみよう

fookpaktsuen2016-09-23

農暦八月二十三日。晴。昨晩は十時すぎの記憶はないが夜中の1時すぎに目覚めてしまひ眠れず夜明けまで読書。橋本治『国家を考えてみよう』ちくま新書18歳選挙権で若者むけに平易な国家論だが橋本治の独特の言ひまわし、国家論なのに「国家を考えるために必要なのは、まず“国家”を考えないこと」なんて言はれても「むずかしいことをむずかしいように考えなければいけないなんてことはない」なんて橋本治の発想に慣れていない若い読者には橋本治といふ人がなんでこんな思考回路なのか?といふことがまず疑問に思へてしまつて最初から国家のことを考えないことを考へてしまつて頭のなかがこんがらかつてしまふ。国家といふ近代の考へ方について治ちゃんは福澤諭吉の『学問のすゝめ』をテキストにしたのは諭吉がおそらく中江兆民とかと同じ時代に日本人で初めて今の私たちと同じ思考回路で国家なるものを考へた思想家だからで、それから平易に説明は大したもの。ルソーとかも若者に「かういふ考へ方なんだ」とわかりやすい。面白いのは国家主義ナショナリズムを高校の部活に例へたことでインターハイに出るやうな運動部の監督が県大会の予選で負けた選手たちに「おまえらは我が部の栄光の歴史に泥を塗ったんだぞ」と叱つても高校生たちは監督に「我が部」といはれても自分たちがスポーツしてゐて「それじゃ僕って何?」と思つてしまふし、本当に監督の「我が部」なのか、といふと学校の部活であつて、それぢゃ学校が私立だつたら理事長のものなのか?とまで考へたら余計にわからないわけで、国家もそれと同じで「我が国」って何なの?と。本当は誰のものでもないのだけど、それを自分のものと思ふことが求められ、その感情を高めるためには、その運動部や国家にとつての栄光の歴史とか誇るべき伝統があると(それは記紀の神話と同じね)「さうだ、自分たちはその部や国家の一員だと考へてもいゝんだ、だつたら、もっと頑張れる!」と思へるわけで学校や国家は部員や国民に部員や国民がさう思へるやうな美しい国としての幻想をさもホンモノのやうに無理に提供する。まさに晋三なんて、これぢゃない……わかりやすすぎ。それでも近代以降、私たちは国民主権で民主主義を標榜する国家の国民なわけだから、これをたゞ否定していまふと国家がとんでもない方向に進んでしまふから国家のことを国民として考へなければならない、とにかく大切なことは「大切なことはちゃんと考へないといけない」といふこと、と結ぶ、いかにも治ちゃんらしい結論。国家論から入り、この終章では晋三の自民党第二次改憲草案を徹底的にぼろくそに批判して、とくに憲法第十章の97条以降について自民党案がいかにそれを根本からダメにしようとしてゐるか、と説く。結局のところ晋三たちは明治の倒幕勢力と一緒で天皇を担いで実際には天皇のフィクションの権威に縋り実際の天皇の権限を無視して装置として(つまり國體)利用して自分たちの好き勝手をしたいことを若者が理解してくれればありがたいこと。この著作の中で「えっ?」と疑問に思つたこと、2つだけあげておくと

  • 「国」というのは第二次世界大戦後の1949年に新しく制定された、日本だけに通用する新しい漢字です。
  • 「国」という「家」の家長は誰か? 日本では、昔から天皇です。

前者は「國」といふ正字に対しての「国」といふ新字のことを言つてゐるが中国も同じ頃に簡体字で「国」があり、中国の文字でもあり「日本だけに通用」ではないこと。後者は日本では国民といふ概念すら江戸時代にもなかつたのだし天皇なんて真宗西本願寺の宗主ほどすら知られてゐなかつたのだから日本といふ国家の家長にあたるのが昔から天皇とはいへまい。これを読み終へて朝六時すぎまで一時間余寝る。こんな寝不足の日に限つて打ち合はせや今日が期限の仕立て物などいくつもあり辟易。晩遅くまで残業。帰宅して倒れる……と結果わかつてゐるので早々と日記を書いてしまひにする。
▼今日、偶然に入手した1997年香港返還前(5月)のアンソン=チャン香港政庁布政司の溌剌としたお写真。やっぱり華がありました。専用車も今ならレクサスかVWであるところ、いかにも英国らしいクラシックなリムジン。