富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

黒田日銀の転換 あの約束は何だったか

fookpaktsuen2016-09-22

農暦八月二十二日。To Do Todayに目も眩むほど今日じゅうのお仕立て仕事が並んでゐる。それでも日本からの仕事メールが来ない日だな、それだけでもありがたい、と思つて仕事してゐたら夕刊の時間になつても夕刊がダウンロードできず今日が秋分の日であることに気づく。早晩に銅羅湾で散髪して帰宅。帰宅する前に一寸飲みたいと思つても「銅羅湾ってさういふ酒場がほんとないね、エクセルシオールホテルのディケンズバーは、一寸一杯のつもりでは奈落の底すぎる」なんて床屋談義してゐたら太古の岡田屋が改装でマクドの跡にイタリアンカフェが出来て、そこが客足さつぱりで空いてゐてワインがあればいゝのだけど何故か置かず(隣がワインセラーなのに)、それでもイタリアの小瓶ビールがあつてさつと独酌には理想的。売り上げ伸びず潰れないといゝが。普段あれほど「スポーツ観戦に興味がない」といつておいて何だが日本ハムの対ソフトバンク戦2連勝で2ゲーム差は痛快。晩飯に不思議な酸味のカレーライス。何と呼ぶのか家人に尋ねるのも忘れ早寝。
▼日銀の「新たな金利目標」物価2%まで緩和継続……って、こりゃ何だ。戦略なき持久戦。対米戦で失地続きでも神風吹くまで「進め一億火の玉だ」のカルトと一緒。これについて毎日新聞の社説「黒田日銀の転換 あの約束は何だったか」が凄い(こちら)。

無謀な実験は失敗に終わったということだ。
日銀自身は、誤りを認めようとしない。黒田総裁は、政策の限界が枠組みの変更をもたらしたとの見方を、記者会見で強く否定した。
それどころか日銀は「この間に、わが国の経済・物価は大きく好転し、物価が持続的に下落するという意味でのデフレではなくなった」と自賛してみせた。
当然、問われるべきは「2年を念頭に達成」との約束で始めた実験の失敗の責任である。
将来に重大な問題を残した異次元緩和策の責任は、日銀だけにあるのではない。アベノミクスの第一の矢に頼った政府の責任も問われる。

と。まぁ溜飲下がる思ひ。だが、それでも晋三と黒田日銀は持久戦で破産寸前でも「アッケラカンのカー」だから困つたもの。それをサポートするのが当然のやうに読売新聞の社説「長期戦に舵を切った黒田路線」(こちら)。

なぜ物価は上がらないのか。最大の理由は、これまでの政策効果を検証した日銀が指摘するように、企業や家計の物価上昇期待が高まらない点にあろう。20年に及ぶデフレで「どうせ物価は上がらない」との認識が世の中に広がり、定着してしまった。この状態から、短期間で脱するのは容易ではない。(略)官民挙げた取り組みがあってこそ、脱デフレを成し遂げることができる。

アベノミクスの失敗をまるで国民の悲観さの所為にした上で国民にさらにこの政策に協力を強いるとは。ちなみに毎日新聞の社説は改行はそのまゝにしたが読売は「改行の空白すら勿体ない」のだ。