富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

テロ等組織犯罪準備罪

fookpaktsuen2016-08-27

農暦七月廿五日。CXのの意匠見直しはシンプル化で多少理解に苦しむ点もあるがエコノミークラスの機内食用のナイフ、フォークとスプーンのセットはグッドデザインで更に使ひやすい。ナイフは左利きにはつらいかも。新西蘭ののプロダクトデザイナーJamie McLellan氏のデザインの由。中共に入るとFacebookもご禁制はまだ諦めもつくがGoogleで検索も地図も見られないのがつらい。いろいろ困るので須磨帆に中国「でだけ」使ふアプリをまとめてみる。晩に自家製コロッケ。コロッケはそのまゝ、大量のキャベツに少しソースをかけて、がアタシの流儀。ご飯は無し。食前のウオツカ、食中のビールをコップに一杯と焼酎のロックで食後は意識朦朧。
▼晋三政府は重大犯罪計画を話し合ふだけで罪に問へる共謀罪盛り込んだテロ等組織犯罪準備罪を準備といふ。本当にISや北朝鮮など脅威様々でやりたい放題。テロばかりか沖縄や脱原発の運動でも活動が対象になれば戦前の治安維持法そのもの。我が国にとつて最大の脅威は北朝鮮にあらず晋三なり。それを否定しないのが国民なのだから始末におえぬ。
毎日新聞北田暁大先生が原武史先生迎へての天皇談義(こちら)より抜粋。

今回衝撃的だったのは、憲法で規定された国事行為よりも、憲法で規定されていない宮中祭祀行幸こそが「象徴」の中核なのだ、ということを天皇自身が雄弁に語ったことです。「何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ること」というのは宮中祭祀を「同時に事にあたっては時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け思いに寄り添うこと」というのは行幸を指していると思います。
宮中祭祀行幸はいずれも明治になってから新たに作られたり大々的に復活したりしたもので戦後も昭和天皇によって受け継がれました。平成になると宮中祭祀天皇と皇后がそろって出席するようになったばかりか行幸も皇后が同伴する行幸啓となり、ますます比重が大きくなりました。
憲法に書かれていないことが私の使命なんだ、と。相当に踏み込んだな、よく宮内庁は止めなかったなと驚きました。止められなかったのか。天皇の記号としての機能は今、より純化され、強固になっています。多くの国民が政治的な存在と思っていないことが最も政治的なわけで……。(略)
より能動的な主体として立ち上がってきた。
左派リベラル系の人の中にも天皇制への視点が抜け落ち「この人なら大丈夫」と属人化されている。それほど見事に自らを記号化してきた成果が今回の肯定的な世論に表れているのでは。(略)
1991年、雲仙普賢岳の噴火をきっかけに変わった。天皇、皇后が被災地に向かい、ひざまずいて被災者をねぎらいました。当時は保守派から大きな批判を浴びましたが今思えばあれが平成流の皇室の始まりだった。抽象的な国民ではなく、顔の見える一人一人に天皇と皇后が向き合うようになったのです。

朝日新聞の連載(戦後の原点)でテッサモーリススズキ先生「突然の帝国解体、旧植民地と未清算の一因」(こちら)より抜粋。

帝国日本では、朝鮮出身の人々を見下す言葉が使われ、日本国家への忠誠心に疑問があるとして集団ごと排除する傾向も見られた。今の日本社会のヘイトスピーチの問題などを見ていると、あの当時と変わらないと思います。心の中の植民地主義です。こうした差別の構造はどこかで意識的に克服しない限り、後の世代に引き継がれます。