富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

五浦(いづら)に遊ぶ

fookpaktsuen2016-08-23

農暦七月廿一日。処暑。台風はすでにオホーツク海にまで離れたが天気不安定。朝、窓を開けて随分と涼しさを愉しむなか、ふと気がついたがカラスが減つてゐる。ひどい驟雨の歇むを待ち、母と水戸駅。昨日東京から乗つてきたひたち7号に水戸から下りで40分ほどで北茨城の磯原。小雨のなか五浦(いづら)の大観荘の出迎への車で311の津波の被害受けた磯原から大津港を抜け五浦へ。宿に近い天心丸といふ海鮮供す食堂で昼食。昼酒はキクマサ。宿への道すがら岡倉天心の土盛りの墓に詣でる。宿は客室に入れるのは午後3時だといふので先にお風呂へ。風呂の湯に浸かつたまゝでは浦の崖の絶景は見えても太洋は望めず。透明プラスチックの腰までの高さの塀?が目障り。最上階の客室に通されエレベーターを降りると南に窓から六角堂や断崖絶壁の浦を見下ろす。台風のあとで波音も強い。部屋から一望の太平洋を眺める。この大観荘は五浦観光ホテルの新館で、六角堂(311の大津波で流され再建)を挟み浦の向かう岸の本館の風呂も入れると先ほどの風呂で一緒になつた老人客から聞き散歩がてら天心の墓、六角堂(入り口)を経て本館に行つたら風呂の設備工事で全館休業。また大観荘に戻り風呂に入る。幾度か通り雨。日立から水戸のあたりはひどい雨で常磐線線路浸水で不通の由。海は時化て、それでなくても五浦に打ち寄せる波は荒いが波音が轟くほど。午前中のうちに来て幸ひ。妹が自動車で来て三人で旅館の夕食。三度目の風呂に入ると風呂は無人で小雨の夜空に雷鳴、それに波音が木霊し何ともムーミン谷的な孤独感。これで落雷で感電死でもしたらお見事。部屋は八畳の畳敷きとラウンジ、それとツインベッドで母と妹は寝台で一人に布団敷いて波音も子守歌で早々に熟睡。

毎日新聞(平和よ2016夏・会いたい)「海外での武力行使認めず「待て」と言う勇気を持て」後藤田正晴について(こちら)。

2005年秋、後藤田さんの葬儀が終わった後、中曽根さんが妻の蔦子さん(故人)を伴って後藤田さんの自宅を訪れた。焼香を終えると中曽根さんは、侑子さん(後藤田正晴夫人)に深々と頭を下げてこう言った。「大変長い間、お世話になりました。私が日本の右バネ、後藤田さんには日本の左バネを支えていただきました。それで中曽根政権が維持できたのです」。
この話を御厨さんに伝えると「見事だねえ」と、うなるようにつぶやいた。「安倍晋三首相と菅義偉官房長官のコンビを中曽根、後藤田の関係に例える人がいるが、僕は違うと言っている。あの時の緊張関係は今はない。

▼水野和夫「資本主義の行方」毎日新聞こちら)。

そもそも近代=成長システムが機能不全に陥っているから、「失われた20年」で済まないしデフレからも脱却できない。「この道しかない」というのは「問題はないが、やり方がまずい、ひいては気合が足りない」といっているに等しい。シュトレークのいう「問題を問題として」認識しようとさえしない。これでは、マイナス金利政策はシュトレークのいう貨幣による「時間かせぎ」にもならない。