富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

二十数年ぶりの横浜

fookpaktsuen2016-08-21

農暦七月十九日。朝餉かはりに新橋田村町新正堂の切腹最中。雨模様のなか家人と新宿駅から湘南新宿ラインで横浜。かなり早い列車に驚くばかり、半時間で横浜。二十数年ぶり。横浜駅崎陽軒売店で焼賣買ひ立ち食ひ。東横線が地下化されてゐて「みなとみらい線」なる地下鉄と直結で日本大通り駅。橋を渡り赤レンガ倉庫。ミッフィ展。私にとつては石井桃子訳の「ちいさなうさこちゃん」。グッズかなり食肆動く。赤レンガ倉庫内のフードコートで崎陽軒の出店で上手くもない冷やし中華1,300円也。炎天下歩いて日清食品安藤百福追善のカップヌードルミュージアム。よく出来てゐる。まさに日清のチャルメラカップヌードルで育つた世代の私。参観に来る老若男女、海外からの旅行者もいかに日清のラーメンと同時代に生きてゐるか、が楽しそうな表情でわかる。トイレがおそろしくきれい。埋立地からかつては赤レンガ倉庫と根岸線結んでゐた鉄道跡の鉄道道を渡り桜木町。「ここに来てオリジナルのカップヌードル作らないで帰る人なんてゐるのかしら」と家族連れの母。すみません、それは私です。家人と別れ大岡川沿ひに弁天橋、野毛を漫ろ歩き昔を偲び掃部山。横浜能楽堂。伝説の能面といふ企画舞台の第3回で和泉流狂言「蝉」シテ(蝉の精)野村万蔵、ワキ(旅僧)野村萬宝生流の能「熊野」はシテ(熊野)宝生和英ら。久が原T君に切符手配いたゞいたが会場でT君に、この能楽堂の舞台が原節子が(映画「晩春」で)見てゐた駒込の染井能楽堂で、それも元々は前田家の自邸にあつた能舞台なので舞台は松だけでなく梅の枝が、と聞く。T君と路線バスで横浜駅東海道線の電車で新橋。ハマでは弁天橋抜けたのでこちらでは土橋抜け昔語りしながら銀座。平成になり東京で「俺のナントカ」と看板掲げる飲食店多いがお多幸始めおでんで名店多い銀座で「俺のだし」といふおでん屋あり。俺の出汁はちょっと……。夏野で携帯用の箸と橋ケース贖ふ。エコロジーでmyお箸持ち歩く人は少なくないがアタシの場合は粗悪な割り箸の多さもあるが、それ以上に困るのがエコロジーで割り箸使はない食肆が出すツルツルのプラスチック箸が使ひにくいから。T君の名刺誂へご用で伊東屋別館。銀座線で見附乗り換へで新宿。西口エルタワーの鮨いしかわに往くと年中無休のはずがエルタワーが八月の全館保守点検かで閉鎖でお休み。新宿の地下道実検しつゝ角筈を東に抜けほてい屋(伊勢丹)。とらやで夏の羊羹贖ふ。丸物ビル(メンズ館)も流してから楼上の寿司廬山。かなりの食欲で寿司をつまむ。道路渡り路地で昔は青線だつたねぇ……の通称「赤門」で飲む。さぁこれから、の時間だが台風接近だとかで仲ノ町も人出まばらで今晩はアウディではなく歩いてT君と角筈から御大典広場を抜け新宿南口に出て別れホテルに戻る。