富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2016-08-18

農暦七月十六日。朝は大雨。昼ころ少し晴れたら蜻蛉がたくさん飛んできて交尾も盛ん。農暦で七月も中日すぎれば、そりゃ秋も近い。
▼昨日が中共老人・前総書記江沢民九十歳大壽。香港のアジアテレビで一度、死亡と報道されてから、もう何年か。
朝日新聞の「笑いにのせて」という連載が、大衆文化の人々の反骨精神で、昨日の五木寛之もさうだが面白い。今日はピーコ。

NHKの追悼番組に出て「永さんは戦争が嫌だって思っている。戦争はしちゃいけないと。世の中がそっちのほうに向かっているので、それを言いたいんでしょうね」と言ったら、そこがばっさり抜かれていた。放送を見て力が抜けちゃって……。永さんが言いたいことを伝えられないふがいなさがありますね。付き合い始めのころ、こう言われたの。「ピーコとおすぎは炭鉱のカナリアになりなさい」って。


▼8月8日の玉音放送について、おそらく最も優れた「批評」ではないか……三谷太一郎・東京大学名誉教授の分析(朝日新聞、全文はこちら)。宮内庁参与(2006〜2015年)として天皇家の相談役を務めたさうで、さすがに戦後の象徴天皇制とは何か、今上様が何を考へてゐるか、についての洞察は見事。

深く印象づけられたのは「行動者」としての象徴天皇というか、象徴天皇の能動性が強く出ていたことです。天皇は国旗のような単に静的な国の象徴ではなく、動的な「国民統合の象徴」でもある、ということに力点が置かれている。ただ存在するだけの消極的な存在ではなく、国民統合の象徴であることを、日々の行動によって実証しなければならない、という緊張感、責任感が感じられました。
もちろん憲法上の制約があることは踏まえた上で、天皇は自由な意思と責任の主体である、という自覚が「お言葉」には強く出ていると思います。天皇ご自身の人間的尊厳の表明と言ってよいかもしれません。
これを読んで思い出したのは1946(昭和21)年1月1日、昭和天皇天皇の神格の否定などを織り込んで出した詔書です。「人間宣言」と呼ばれるこの詔書と今回の「お言葉」には共通性がある。字句の上でもそうです」
人間宣言」では、天皇と国民との間の紐帯は「終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ」とされていました。
「お言葉」では「天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした」とある。全く同じ字句「信頼と敬愛」が使われています。今回の意思表明は、戦後の出発点となった昭和天皇の「人間宣言」を承継していると感じました。
憲法上の規定はありますが、象徴天皇はこういう存在でなければならない、という自明のイメージがあるわけではない。天皇に就いた人が、自ら形成していかねばならない側面があります。天皇自身が、憲法の枠内で、自由意思を持つ者として、どうしたら国民統合の象徴の務めを果たせるのか、考えていかねばならないのです。
象徴天皇は、非行動的な存在と受けとられているかもしれませんが、旧憲法下の天皇よりも強い能動性を持ちうる可能性がある。今の天皇は、その可能性を積極的に開いていこうとされている。それが、『日本国の象徴』というより、『日本国民統合の象徴』に力点を置かれている理由ではないか、と先ほどお話ししたことの意味です。積極的な象徴天皇像をお持ちだという印象を、私が接した限りでも受けてはいましたが、今回、そのお考えが非常にはっきり表れたと思います。
天皇は存在するだけで尊いとする保守の意見もある、という問いに対して)それは、旧憲法下の大日本帝国天皇のイメージが残っているからではないでしょうか。「神聖不可侵」とされた天皇は非行動者としての天皇です。行動すれば神聖不可侵を保つことはできません。非行動者が本来の天皇の姿であり、それを踏み越えるのは、行きすぎだと考えているのかもしれません。

……なるほど、こういうわけで今上天皇の考えが晋三や日本会議には受け入れられないか。大正天皇精神疾患といふ扱ひになつたのも、同じやうな近代日本の権力による「國體護持」に大正さんの思想が逸脱してゐたから、の面もあらう。