富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2016-08-13

農暦七月十一日。天気不安定。幾度かの驟雨。リオ五輪に全く興味もないが新聞やテレビであれだけ報道されては目に入る。女子の体操で日本が51年ぶりにメダル、といふ騒ぎに「そんな昔からメダルをとってゐない?」と驚くが、それが東京オリンピックの時と聞くと「なんだ、その程度か」と思つてしまふのが老人。早晩に久々に深水埗の電気街へ。旅行の際、ノートブックに須磨帆、iPad等々持参するものが増へ難儀するのが電源供給。ホテルでテーブルタップを借りられるが日本と台湾用に100Vのもの、240Vは中国のプラグタイプ(O)と日本と同じ(A)の3種類のテーブルタップがあれば事足りる。ただ問題はテーブルタップのソケットの並びが直列(画像左上)だとAppleのACアダプターだと順番に挿せない。そこでソケットが横に並ぶもの(写真左下)だと問題ないのだが、それがない場合のためアダプターから延長の電源コードがあると便利。で、その電源コードを入手。これでまた旅行の荷物が一つ増えるのだが。帰宅して枝豆とビール。枝豆の美味しい茹で方(白ごはん.com、こちら)。枝豆の殻入れを適当に手元のチラシで作つたら来春の香港芸術祭で完璧なデザインのが出来てしまつた。大根おろしと韮の鍋で豚肉のしゃぶしゃぶ。ビデオニュースドットコムで御厨先生を招いての天皇の人権についてを見る。リベラル左派の天皇に対する権力者たちのジレンマ。これまで天皇憲法遵守発言や国旗国歌強制への懐疑などは無視してきたが天皇退位については無視もできず粛々と。
東京新聞の特集「憲法9条の未来」(東京新聞)で石破茂センセイ「不戦のため改憲必要」。石破センセイの指摘するところ自衛隊の存在の矛盾等わかる点もあるが、この人の思ひ込みの度合ひはやはりカルト的。

憲法を守れ」と主張される方に「9条を暗唱してください」と言っても暗唱できる方はあまりおられません。9条を一生懸命「大事だ」と言っていれば戦争はない、というのは一種の信仰の世界です。(略)
国の独立を守るのが軍隊。国民の生活や財産、公の秩序を守るのが警察。(略)この違いを説明できる人はあまり多くありません。

……って、9条くらゐ

日本国民は、正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力は、これを保持せず。 国の交戦権は、これを否認することを宣言する。 第二項 前掲の目的を達する為め、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

といふ、アタシですらほぼ暗唱できるし、軍隊と警察の違ひも高校生くらゐで判別できるのではないかしら。かうしたことを「国民はわかってゐない」といふ思ひ上がりが政治家にあるのが怖い。日経の特集「戦後71年の夏に」で山田太一氏の指摘(こちら)が素晴らしい。

近所にいるようなおじさんやおばさんがね、戦争になると突然変わるんです。あの小説ではそういう様子を描いたんですが、実際に僕の周りもそうでした。たとえば隣組班長になっただけでものすごく威張っちゃう。キヲツケーって号令かけて。日本人はがらりと変わっちゃうんですね。
戦後はまた逆方向にがらりと変わるんですが、その「がらり」は昭和天皇が亡くなったときの社会の空気にも現れていたし、東日本大震災のあとも感じました。変わり方がとても激しくて、怖い。もし、また日本が戦争をやったらそれが噴き出すでしょう。夢中になっちゃうんです、日本人は。戦争は絶対にやってはいけないという僕の思いは、そんな「がらり」への不安も大きい。
一種のヒステリーでしょうか、いろいろな面で、日本人もタガが外れてきたようです。最近、日本人はここがすごいとか素晴らしいとか、こんな場所にだって暮らしているぞとか、テレビ番組などでやたら褒めていますね。自分で自分のことを素晴らしいだなんて、恥ずかしいですよ。不愉快ですよ。素晴らしければ素晴らしいほど自分では言わないのが日本人の感受性だったのにね。
きれいな言葉も注意したほうがいい。震災後によく使われた『絆』なんて、どうしても実態とずれていく。その渦中では興奮して、センチメンタリズムが動員されますが、だんだんウソになっちゃうんです。