富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

観光開発頓挫を世界記憶遺産に

fookpaktsuen2016-08-07

農暦七月初五。朝未明に起きて日記を書いてゐると市街からコーラン祈りの放送が聞こえてくる。夜中にかなり雨だつたと家人。晴。陽がまだ東にある内に旧市街へ。日曜の朝11時までだといふJln. Hang Lekirの路上骨董市を冷やかす。なるほどこの通りがまだ建物の陰で陽が射さない内だけで昼前には店じまひも道理。北京訛りの観光客が値切つてつまららい古い茶碗など買つてゐる。一昨日も昨日も夕方閉まつてゐた高級な骨董は何もない我楽多屋は新隆商行といひ今朝は早くから開いてゐた。老夫婦の経営。花柄のお盆(RM45)と古いマラッカの半世紀前以上前の観光絵葉書を贖ふ。Jln. Kampung Kuliは150mほどの短い通りだが趣ある古い店が数軒。陳卓添といふ老職人の作る桶や椅子の木製品屋は今は製造販売を止め展示のみと聞いてゐたが狭い路地を入るとよぼよぼの老人が僅かに残る木製の椅子など見せ座れ、座れと自分のことを書いた新聞や雑誌の切り抜きを見せる。若い世代はこんな仕事につきたがらない、後継者もゐない、もう自分も製造はできない、といふ。狭い路地に残つた木製の低い椅子はお世辞にも職人の作とは思へぬ雑な仕様で、聞けば八十九歳ださうで致し方ない。もう何も作れないし売るものもない、此処に寄つたのも何かの縁で少し金銭を置いていつてくれ、と請はれる。さういふ風になつてゐることは聞いてゐたのでRM20だけお布施。家人が寄りたいといつた特昌といふ銀の装飾品の店は閉まつてゐたが奥に人のゐる気配。声をかけると肆を開けてくれる。店番の店主の他に車椅子の老婆が現れ笑顔でやりとりを眺めてゐる。家人がピアスなど選ぶ間に話をきけば母親は95歳といふが意識もはつきりで店主(息子)に「RM10札を2枚、お釣りにあるかい?」と聞かれると傍らの鞄から財布を取り出し数種類の札からRM10札を取り出し私に「息子に渡して」と。矍鑠とした老女将ぶり。昨日からどこの店でも土地柄か何かしらの昔語りを聞く機会多し。ホテルに戻り暑さに少し目眩して午睡。遅めの昼食をホテルの近くにある海南鶏飯屋で。鶏肉を1羽分なら1 Bird、半只なら1/2 Bird、例牌なら1/4 Birdといふ数へ方が可笑しい。

インド人街の布屋に行く家人と別れホテルに戻り夕方まで寛ぐ。この3日間で今日が一番陽射しが厳しい。午後5時くらゐになるとやつと日が傾き旧市街に行き川沿ひのカフェで5匹の子猫と母猫を昨日に続き目でてゐるとカフェの主人に「1匹やるから連れていっていいよ」といはれる。さすがに香港までは……。昨日のLight & Ez Cafeで啤酒を飲む。常連の仲良しの二人が今日もゐる。昨日は何やら堂々巡りの口論してゐたが今日は静か。観光なら17世紀のオランダ統治時代の建物(Stadthuys)を見学したりフランシスコ=ザビエルに纏わる聖ポール教会の丘に上がるべきなのだらうが観光客多く一寸近寄りがたい。メガモールからマコタパレードといふマラッカ最大のモールに行きSDメモリのカードリーダー(RM20が半額)贖ふ。旅行に持参のMacBook Airは画像はいつも須磨帆からは藍牙で飛ばしてゐたが久々にGRのデジカメ持参したらSDカードでMacBook Airにカードリーダーないことに初めて気づいた。GRからも須磨帆に飛ばせるのだが画質は劣る。一目マラッカ海峡拝まうと海沿ひまで歩く。観光客も多いのか、と思へば市内から西の方角はマラッカ川の河口が埋め立てられたことでかなり遠くまで行かないとマラッカ海峡に沈む夕日は拝めないやうになりマラッカ川の河口はひっそり。マラッカが世界遺産になつたことで多くの観光客を当て込み、このマラッカ川河口には西欧風の古い市街建築を模した街並みを作りブディックホテルや飲食店などいくつも開くはずが肝心な夕日も遮る殺伐とした埋立地が目の前では……。この観光開発も建物だけ作りテナント入らず頓挫。まだ建てて数年だらうがゴーストタウン化する街並みの空虚さ。またこの市の中心を流れてくる川の河口は大洋に向け観光クルーズ船の波止場を無理やり建造したことで、川の流れを迂回させるため狭い水路を作り、これにより市内の排水も制限なく捨てられる川の流れは緩くなり川は余計に水質汚濁がひどくなり悪臭が漂ふことに。クルーズ船の波止場も海水が行き止まりゴミと悪臭が漂ふ。世界遺産になつたことでマラッカの経済復興狙つた計画が見事にすべてマイナスに作用とは。この観光開発の挫折も世界文化遺産……といふか記憶遺産にすべき。マラッカも三日目でだいぶ地理にも慣れ裏通り、路地を歩いて市街抜けること覚へる。Jln Munshi AbdullahにあるRestoran Vazhai Elai(Nasi Daun Pisang)といふインド料理やで初めてバナナの葉に盛つたカレーを飰す。皿を用ゐるのと味は何も違はないのだが野趣。歩いて5分ほどでホテルに戻る。

▼旅をしてゐるといつも永さんがラジオで話した2つのことをいつも思い出す。一つは洗濯物を乾かすことで旅にあれば夜、シャツや肌着を洗面所でささっと洗ったら絞るのが大変だがバスタオルに、あれは必要以上に大きくて勿体ないけど、洗濯物をくるくるっと海苔巻きのやうに巻いて海苔巻きを半分に折つてバスルームに置いて足で踏んでやれば大概の洗濯物の水分はかなりバスタオルに吸はれて、それで干しておけばホテルはとんでもなく乾燥してゐるから翌朝には洗濯物は乾いてゐる、という話。これを聞いたのは中学生の時だつたが、それ以来、旅に出るときちんと毎晩この足踏みをしてゐる。もう一つは普段はオシッコをする時に、男性の話だが、気がつかないがどれだけオシッコが飛んでズボンを汚してゐるか、それは温泉の大浴場で裸になつてからオシッコをすると跳ね返りで足の腿や脛が濡れたことでよくわかつた、と。これはだからどうすればいゝはない話なのだが注意するべきこと。
▼渋谷パルコ休業。1973年の開業だといふ。小学生の頃に母親とだつたかNHK放送センターの見学に連れていつてもらひ渋谷からNHKに向かふ坂(区役所通り)がこんなになつて、と母が驚いてゐた記憶。中学生の時にはPARCOのファッションにはまだ幼かつたが『ビックリハウス』愛読し投稿するやうになり渋谷の宇田川町は身近でパルコの中に確かマップハウスといふアート嗜好で世界中の地図を集めた店があり、そこを一通り眺めてリブロ書店で最先端の写真集など眺め壁の穴でパスタ啜り東急ハンズへ。タワーレコードが出来たのは数年後のことだった。