富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

平成の玉音放送「立憲主義について」

fookpaktsuen2016-08-08

農暦七月初六。未明のコーランで目覚め珍しく朝寝貪り7時に起きる。家人は昨日の買ひ物でシャツや耳飾りの不具合見つけ直しに出かけるなか迂生は在宿。客室の掃除の間、ロビーに来て書きものをしてゐたら支配人が通りかゝり「珈琲か何かおもちしますか?」と気を遣はれ朝食堂で顔見知りの給仕が珈琲を運んできて「ブラックですね?」と。素晴らしい……この一日中流れるKenny GのBGMを除けば。昼すぎ家人が戻りホテル近くの新美星茶室に昼餉。昼も夜もかなり客が多く繁盛。海南鶏飯。気温摂氏31度でも扇風機だけで暑くないのは風土なのかしら。今日も榴槤を頬張る。ホテルに戻る。聖上の玉音放送はKL時間午後2時からでNHKプレミアムでも30分前から放送あり。解説で所功教授は当然の人選だが、もう一人が陛下と親交ありでチェリスト堤剛。聖上の玉音は天皇といふ立場現行の皇室制度に具体的に触れることは控へながらとしつゝ「私が個人としてこれまでに考えて来たことを話したい」と。天皇がこれまで「個人として」といふ発言は初めてのはず。自民党改憲草案v.2で否定された〈個人〉。そして天皇崩御につき「遺される家族は」と皇族を家族と呼ぶのも初か。内容は無難ながら象徴天皇の役割、責務について。当然わかりきつたやうなことも敢へて念押ししなければ普通が普通でなくなる今日日の常識も通じぬ社会。最後に「国民の理解を得られることを切に願っています」と〆たが生前退位につき国民の理解はすでに得られてゐるわけで、つまりはそれを前提にこの天皇の判断を心良く思はない人々、組織への政治的圧力と思ふのは深読みすぎるかしら。否、結局、天皇のとつた手段は生前退位は自分の勝手な思ひではなく(形式的にならどんなヨボヨボになつても天皇で在ることはできる)日本国憲法に定められた国民の象徴としての天皇に求められる職位、公務について老齢化に伴ひ、その遂行が困難となるから退位する、といふ、これはまさに立憲主義天皇退位につき皇室典範ばかり意識されたが聖上は「憲法に基づけば」と、まさに戦後民主主義の申し子として憲法に生きてゐることを明かしたもの。これが非立憲的なる晋三らの動きへのアンチテーゼであることは確か。天皇は「国政に関与しない」立場でぎりぎりのところで自らの進退といふカードを出したのだ。これまでも実は数年に渡り、この生前退位は検討されてきたが、なぜ今なのか、それは勿論、聖上の高齢化もあるが、それ以上に昭和20年に匹敵する平成の分水嶺を聖上が今こそとお感じあそばされたのでせう。おそろしや、おそろしや。夕方日差しも少し弱くなるのを見計らひ家人と出街。日陰縫ふやうにして家人に誘なはれ旧市街のMalaqa Houseなる骨董賣る肆へ。老朽化こそしてゐるが見事な地場建築。陽がさせば中庭が明るく雨が降れば雨の落ちるのを楽しめる……これが羨ましい。

Light & EZ CAFEへ。盛夏のやうで農暦も七月に入ると空の雲も高く風も随分と清々しくなる。啤酒を二人で小瓶5本飲む。月曜日で観光客も少なく閑散とした旧市街漫ろ歩き新云河茶餐室。マラッカの初夜に食した蠔仔餅をもう一度。ホテル近くのニョニャ料理、Bulldogにようやく飰す。土曜の晩は通りがかり日曜日は閉店で今日の昼は月曜だけ昼の営業は休み。この食肆、名前も雰囲気も気張つてゐるがマラッカでは伝統的なニョニャ料理を供すことで知られてをり味付けもしつかり。ホテルに戻りNHKワールドでNW9の英語吹替版が放送されてをり見てゐるつもりが酔気と睡気で朦朧。