富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

台風直撃

fookpaktsuen2016-08-02

農暦六月晦日。夜中にかなりの風で陋宅の窓の隙間から風の音とガラスを叩く雨。夜明けの頃はかなりの雨。それも徐々に収まり雲も白み空も明るくなる。それでも午前中はシグナル8継続ださうで交通機関も地下鉄除けば動かず。これ幸ひにと新聞などかなり読み書類整理。午後になりシグナル3に。これが午前10時だと昼から始業の会社など多くなるがシグナル8→3になり2時間後に始業が香港で定着してをり、さうなると午後3時からでも始業は小売業やサービス業に限られ企業の多くは「急ぎの仕事がある者を除けば」自宅待機のまゝといふ判断。今日も昼の通勤パニックにならぬやう微妙な判断となつた。アタシは官邸の状況把握のためご出勤。急場の対応だけ済ませ帰宅。台風の日はご定番のカレーライス飰す。木下直之著『股間若衆』読む。なぜ男性の裸体像が公衆の面前、それも駅前とか広場にあるのか。そして男性の象徴たる陽具の扱ひ対する著者の視点は興味深いが「だから何」と思へなくもないのは興味本位から更に深入りするだけの〈股間性〉が彫刻家の造る男性裸体像にはないからか。不能的。それにしても青木繁朝倉文夫(画像は「水泳競技を前に)については随分と勉強になつた。

▼香港で最も信頼できた、いはゆるquality paperたる信報。20年以上愛読してきたが、林行止氏経営の独立性が李嘉誠次男のリチャードに買収され林行止専欄は週数日で残るが個性豊かで知性的な書き手の多くが去り余り読まなくなつてゐた。林行止が自分の引退後に信報の主筆とすべく期待かけたのが練乙錚で、練乙錚の記事についてはこの日剩で何度も取り上げた。元々が林行止に見出された逸材で経済学者から信報に加はつたが1998年に香港政府の中央政策組のメンバーに。2003年に反政府の市民集会に参加したことなど指摘され、この職を辞し海外を旅し大洋をヨットで航海すること数年、信報に主筆として迎へ入れられたが2010年に辞任。信報には特約評論員として記事は書きつゝ秋田国際教養大学でも客員教授を務め、CY梁の施政についての論評はCY梁から名指しで言論干渉を受ける。かなり異色の時評家なのだが如何せむ文章が難解で長文すぎ。その練乙錚が「《信報》突停練乙錚專欄 總編輯稱改版」と一昨日の蘋果日報に記事あり(こちら)何事か、と思つてゐたら昨日の信報に練乙錚本人による「別了《信報》 」掲載される。今年になり経営難を理由に稿料半減、で七月廿八日に編集長から新紙面を理由に連載打ち切り告げられたといふ。これについて本日の信報に林行止専欄が「香港大氣候人謀不臧 信報小氣候不惜人才」と題して自身がかつて社主で主筆であつた同紙が練乙錚の記事掲載絶つたことを避難。これについての記事は「林行止斥《信報》總編有辱斯文」(蘋果日報こちら)。前述の練乙錚と林行止の信報記事は富柏村顔本(こちら)に引用あり。それにしても反中共の雑誌が焚書扱ひで出版人が拉致され香港独立の本土派の若者は立法会選挙出馬拒まれ練乙錚のやうな多少、本土派の主張すら新聞社が追ひ出す風潮。まさにファッショ。銅羅湾書店事件こそ中共の特務による仕業だが立法会選挙条件だの信報の練乙錚解雇だの中共ではなく香港の自主規制なのが怖い。何度も引用してゐるがChris Patten卿の恐れた “My anxiety is this: not that this community's autonomy would be usurped by Peking, but that it couhd be given away bit by bit by some people in Hong Kong.”なのである。少なくても反中共の立場とる言論人の主張であるとか、ネット上で中共のことを一党独裁専制などと言ふのは「まだ」許容されてゐるが(中共国内なら当然だがネット上でも、いや網上「だからこそ」ご法度もご法度)この拙綴の中共悪口日記も日本語だらうが「香港=中国国内で書かれてゐる」なんて理由で潰される日が来るのかしら。

股間若衆―男の裸は芸術か

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