富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

台北三日目(竹田宮家と台湾)

fookpaktsuen2016-07-16

農暦六月十三日。朝食にラウンジに下ると相変はらず誰も起きてやしない。新聞を読みながらゆっくりと朝食。ホテルでいくら朝食メニューが充実してゐてもパンとヨーグルト、少しの果物と珈琲があればアタシには幸せ。家人に誘なはれ龍山寺の方へ行くことになりホテルの前の南京東路から台北車站、中華路を抜けるバスで市立連合医院前。広州街を抜け昔の街並みを保存した剥皮寮歴史街区見物。龍山寺参拝は遠慮して東三水街市場(新富市場)。萬華火車站。鉄道が地下化された際に建てた地上の駅舎があつたが更に再開発で駅舎の上に高層ビル化。艋舺大道を渡り萬大路の陳聖聞掏耳で耳掃除。見事な職人技で、まぁこんな耳垢が、と思ふほど耳の奥からとれる。普段、綿棒でどれだけ耳道に汚れを押し込んでゐるか。昼には早かつたが西門までバスで戻り老牌牛肉拉面大王。財布をホテルに忘れてきて家人と別れホテルに戻る。 午睡。午後遅くホテルに一旦戻つてきた家人と捷運で石壁。路線バスで磺渓の露天温泉へ。市街に戻り雙連。民生西路にある家人御用達の信成油廠。老舗の料理油や調味料売る店でお祖母さまの日本語がまぁきれい。家人に田園城市風格書店を紹介。日も暮れると暑くはない、と南京松江の四平小館まで20分ほど急ぎ足で歩く。酸菜白肉鍋。また15分ほど路地を歩きホテルに戻る。路地にのんびりとした暮らしあるのが香港の喧騒から見ると本当に羨ましい。ホテルの隣が中華航空台北分社大厦。大学生のころ何十年も前のことだが最初に台湾に来たのは中国放浪の旅の復路で香港で査証申請して高雄に飛ぶと荷物検査など本当に厳しく劉少奇選集は空港預かりで台北に送られたほどで、高雄から国強号で台北に着いて駅前の安宿に下榻、で最初に来たのが、この中華航空。当時は飛行機に乗るには往路以外はリコンファームといふ手続きが必要で復路の羽田便のリコンファームに来たのだつた。まだこの周辺は新興の都市開発区といふ雰囲気。それが今では台北といふ大都市の真っ只中。ここでリコンファーム済ませ、その足で市北部の郊外にある故宮博物館にバスで行つたのだが、当時は今のやうに須磨帆でちょちょいのちょいでデータ見るわけでもなく、よくバスを乗り継ぎ行つたもの。
官房長官菅某が昨日の会見で曰く、政府が内閣官房に置いてゐる皇室典範改正準備室は「皇族減少への対応を検討するもの」で生前退位検討は「全く違ふ」と改めて否定。皇族減少については「かなり具体的な形で対応することができるやう検討中、年内といふよりも早急に対応しなければならないといふ問題意識持つてゐる」と。やはり。だが聖上の思し召に柔軟に対応が必須で官邸的には天皇退位の思し召は「余計なこと」。旧宮家皇籍復活で思ひ浮かぶのは何といつても恆和「五輪王」や恒泰「マスコミ王」擁する竹田宮家。この宮家を皇族にするといふ強い力の作用が官邸にもあるのでせう、日本会議的に、とか。さういふ動きに対して聖上の憂慮もありや、なしや。さういへば竹田宮は台湾とも史的に関はりあり。北白川宮能久親王の<台湾征討>があつて、その長男が竹田宮で五輪王の祖父にあたる恒久王となること、ふと思ひ出す。
▼ニースでのトラック暴走テロについて新日鉄住金の幹部曰く「グローバル展開を進めれば進めるほどリスクにさらされる」。当然。相次ぐテロに社員の安全をどう確保するか、って、突然の空港での爆破テロは逃げようもないが、せめて晋三の集団的自衛権を財界が支持しないこと。かつての中東での日本への信頼を取り戻すことでせう。日本人を狙ふ計画を未然に防ぎ、ダッカのやうな現場で日本人なら生き延びられるやうな環境づくり。この日経の記事で東芝渡航する際は不特定多数の人が集まる場所や公共の交通機関では注意するやう社員に呼びかけ……って外務省の海外安全情報ぢゃないんだから。公共交通機関使はず人が集まらない場所で密会の商談なんて更に怪しく目立つでせう。別の大手商社の広報担当は「どのような対策を取っているか(を公開すること)がテロに利用される場合がる」って、それほどの何かノウハウがあるのか……ないでせう。
毎日新聞が昨日の紙面(金言)で天皇即位を1990年としたことにつき1989年の誤りで1990年は即位の礼でした、と訂正。歴史に明るい毎日新聞にしては皇室の話題が多い昨今で、あまりに稚拙なミス。