富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2016-06-15

農暦五月十一日。早晩に新界から還る途中、九龍城に宿る岸和田Y氏拾ひ銅羅湾。日本人倶楽部に家人と三人で四方山話で会食。久々にY氏と二人で焼酎四合瓶をぺとり、と飲む。
東京新聞歌人岡野弘彦が作家や歌人の思ひ出綴る連載(美しく愛(かな)しき人々)で折口信夫について。終戦後、軍から除隊され弘彦は東京大森の折口家に出入りするやうになり風呂沸かす薪つくりから原稿の口述筆記、清書など言ひつかるやうになり書生は通ひから還暦すぎの「祖父のやうな」先生と同居になる。この折口の「口述」は折口が國學院卒業し大阪の旧制今宮中学で教師になつた時から始まつた一子相伝のやうな折口固有の教育法で今宮中学の当時、折口が「一番深く心注いだ」生徒が伊勢清志といひ大正元年の八月に伊勢から熊野にかけて、折口の最初の詩集となる「海やまのあひだ」の旅にも「感性の美しい生徒であった」清志を同行させ折口は「零時日記」を筆記させてゐる。弘彦はこの折口の若者に対する指導を「瀉瓶(しゃびょう)」といふ。瓶の水を他の瓶の口に口移しに注ぎ入れるやうに仏法の奥義を残りなく弟子に皆伝すること。素晴らしいどころか「どこかむしろおそろしく内容の濃密な、魂の田酒であつた」と語る岡野弘彦大正13年生まれで92歳。もう折口のことを語る最後の人。岡野については松岡正剛の千夜千冊で『美しく愛しき日本』(こちら)が興味深い。

日本の神々はすさぶ神なのである。スサビは「荒び」であって「遊び」と綴る。すなわち「あめつちは蒼ひと色にまろがりてしづけかりしを神すさびいづ」なのだ。蒼色にすさぶ神なのだ。ぼくはこのように神をすさびのなかに詠む岡野さんを信用したい。
いや、それだけではない。そうした神々にも「凶(まが)つ神」がまじるのである。だから「村びとに追放(やら)はれくだる凶つ神ぬばたまの夜を渡る声する」ということや、「夜の峠越ゆる乞食(ほかひ)のつづらより傀儡の神のうめき沁みいづ」ということがおこる。これはたんに凶暴になった神ということではない。凶も悪も暴も、神に付託されていったのだ。そのため、神はここで偉ぶることはできない。むしろ哭いてしまうのだ。岡野さんはそこを「渾沌(くぐも)りて暗き天つち凶まがと湧きいづるなり神の哭く声」というふうに詠んだものだった。