富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2016-06-01

農暦四月廿六日。猛暑。
毎日新聞がリーマン資料につき、きちんと纏めてゐる(こちら)。「緩やかな回復基調が続いている、とした月例経済報告とはかけ離れた認識」(内閣府幹部)や「共有はしているが我々が承認したものではありません」(財務省幹部)といつた声の聞かれる「リーマン前夜」の資料を作成したのが経済産業省出身の首相政務秘書官と同省事務次官ら。サミット2日前にこれが示され所得増税は予定通りの財務相では麻生漫画太郎が「何がリーマン・ショック前だ。変な資料作りやがって」と唸つたといふ。サミット仕切る外務省とて蚊帳の外。
毎日新聞の中村秀明の水論「ギリシャを笑えない」(こちら)より。

新たな財源がない中、格差をただす政策、子育て世帯や子どもに手厚い政策はますます遠のきそうだ。そして現役世代は逃げ切れても今の子どもやこれから生まれる世代がいずれ重い税負担を背負わされる。
そんな将来を見通せば、今は消費や投資をなるべく控え守りに入るのが賢い選択である。結果、景気は低空飛行を続けるしかない。

▼港島の道路渋滞解消と工事の進むCentral - Wan Chai Bypass & Island Eastern Corridor Link(こちら)だが海を潜つたり出たりのバイパスは「環境にも優しい」ださうで緑化意識し公園なども造られるが、かつては蛋民、今ではヨットが停泊する銅羅湾避風塘には昔ながらの風情を復活させるのだといふ。かつては待合のやうな船があれば料理供す船、その間を縫つて歌舞音曲供す船が回り、当然のやうに淫賣もあり。これについて劉健威兄が信報に書いてゐるが

  • 一種文化現象的出現,必有其社會、市場條件,待這些條件改變了,某些文化就失去存在基礎,逐漸湮滅於歷史中。避風塘遊艇河就是例子。
  • 六七十年代社會比較樸素簡單,娛樂的選擇少,一九六八年前,連電視也沒得看;冷氣機亦未普及,出街「乘涼」也變成休輭節目。現在不要說年輕一代連什麼叫「乘涼」也不懂,人手一部手機或電腦,「上網」成了主要節目,莫說夜街少去,連電視也不大看了;影響所及,香港人連夜生活也少了,叫他們到海邊遊艇河更是天方夜譚。
  • 遊艇河殊不便宜,運作一部小艇,起碼需要兩個人;兩個人一晚的工錢是多少?這行業又有季節性,打風下雨寒冷都沒生意,故養起二人一艇的成本絕對不少。六七十年代人工低,人們收入卑微,故經營遊艇較易;待條件改變,遊艇就被市場淘汰了。
  • 關鍵還是,遊艇河這模式是民間自發的,因應一定市場條件而出現和消失;但未來將這模式重現,卻是由官方策劃的,由上而下,能否成功?的確「靠估」。高官似乎沒吸收歷史教訓――早期大笪地由民間自發,興旺無比,待八十年代式微,即使官方規劃將之再現,亦慘淡收場。

さまざまな条件が重なり自然に出来た海上の遊楽環境なのであつて、それを今更にテーマパークの如く造つて、どうするのかしら。