富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2016-04-13

農暦三月初七。早朝、九龍のほうが真っ黒な雨雲に覆はれてゐる。黄色の豪雨警報発令。九龍も大雨となり八時前には香港島も30mm超へる大雨。それでも黄色警報のまゝ。新界の北部から九龍の一部、香港島も南部は50mm超へ赤色警報発令されてもおかしくないが天文台は広範囲にわたり一定量の雨量が観測された、或いは予測される」場合に警報発令で今回は雨雲の移動も早く「広範囲で」の判断に至らず、と。つまるところ天文台が赤色警報出さない場合の避難と出した場合の避難を天秤にかけ前者のほうがまだマシと判断か。高度な判断なんて所詮そんなもの。そして天災のかなりは人災。レインコートに長靴、リーガル靴店の大きな傘で外出。道路の交差点が排水溝が油濁などで汚れ詰まつてゐて雨水が流れず溢れてゐるところ通行人が渡るのを躊躇ふなかじゃぶじゃぶと長靴で闊歩。早晩に西湾河の太安樓。築半百のこの雑居ビルのマンションで35平米で5千万円也。基記水電工程の、とつい言つてしまふが今は東記小食の牛雑を頬張りエレベーターホールでギネス缶ビール飲み家人待つ。長靴も雨が収まり、ここでこれでは現場のオヤジそのもの。雨は小降りだが歩くの厭ひ近くの景福茶樓に赴くと商売繁盛か改修中。久々に合時小廚に飰す。地味に上客多く予約で一杯な日も多いがさすがに今晩は悪天候で席あり。それでも上客多し。なんだかこの高湿のなかで生きてゐるだけでくたくた。早寝。

蘋果日報で李怡さん「世道人生:八十自述」(こちら)。1936年の農曆三月二十二日生まれで、この年のこの日は陽暦で四月十三日の由。

人生有許多時候要妥協,但既選擇媒體工作,那麼堅持不做宣傳工具就不能有2%妥協;堅持一切公眾關切的事都如實報道不能有2%妥協,寫政論須以事實為根據和忠於自己的認知也不能有2%妥協。就這樣,我見證了中國抗戰以來的變遷、文革、民運、台灣民主運動,香港則從九七問題出現到現在的所有階段,報道和評述這些變化幾十年。

アタシが二十歳だつたか初めて訪れた香港の街角のキオスクで並んでゐた雑誌は『七十年代』で、それ暫くして神田の東方書店だつたかで見かけたら『九十年代』になつてゐた。香港代表する骨太のジャーナリスト、この人の記述を和訳して朝日新聞に掲載する機会にも接し傘寿でまだ現役で健筆揮はれる。
朝日新聞で、北大から東工大に移つた中島岳志教授の「立憲主義と保守」が興味ふかい(こちら)。保守であるはずの自民党改憲、リベラル(左翼)が護憲といふねじれの不思議。中島先生は自民党の晋三的何が何でも改憲といふ革新思想も、何が何でも護憲といふリベラル、左派の発想からのいずれも否定。

左派も保守も自分たちが少数派だと思っている。左派はずっと自民党の一党優位体制で保守が力を持ち続けてきたと思い、保守は言論界も教育現場もアカデミズムも左翼に牛耳られてきたと見なす。どちらも自分たちの言葉が取り上げられないというルサンチマンがあるから攻撃し合う。一種の共依存

本来の保守主義はこれまでの経験や英知を基に必要最小限の改良で世の中を安定させること、と。御意。
TBSラジオの元アナウンサー、秋山ちえ子刀自逝去。享年九十九。仙台出身。東京高等女子師範の卒。TBSラジオの「秋山ちえ子の談話室」は2002年まで12,512回。毎年終戦記念日は「かわいそうなぞう」の童話。晩年はマスコミ9条の会の呼びかけ人。

毎朝7紙を読んだ。常にペンを携え残した取材ノートは数百冊に及ぶ。事前収録番組の多さを嘆き2001年の米同時テロの翌朝は自ら局に訴えて生放送に臨んだ。気骨の放送人と呼ぶべきだろう。「男性には戦争をしたがる人がいる」「戦争の悲惨さを知らない政治家が憲法9条をなくそうとしている」。いまの危うい政治状況を思うと、あの率直な批評がもう聴けないことが、残念でならない。

天声人語